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世界地図の間 横山裕一の衝撃

 貧者の娯楽「なめくじ長屋奇考録」をその日も見に行った俺は、そこに掲載された2葉のカットに激しく魅了されてしまいました。


 なんだ、これは。
 たいして逡巡もなくアマゾンのボタンを押し、現物を入手してしまった。
 読んでいて自然に「フューチャリズム」の語が想起された。美術史に詳しくないけれど的外れの感想ではないだろう。飛行機。船。疾走する自動車群。描線はすべて定規を使用してかっちりと描かれている。
 吹き出しの形から一見デジタルツール使用の漫画と見えてしまうが、描線の端は微妙にはみ出しており、細密な仕事ながらこれが人間の手仕事であることを隠さない。曲線もおそらくは雲形定規を使用して描かれている。
 横山裕一の漫画(自称、ネオ劇画)はなにかがチグハグだ。
 2時間の映画を漫画化したとして、それが最初の三分で終了してしまった感じ。単行本一冊を使って2時間ある物語の最初の三分をコミカライズする作業に、いったいどんな意味があるか? おそろしくコストパフォーマンスの悪い営為であるが、そこにとてつもない人力を注いでいる情熱に読むものは圧倒されてしまう。行為の意味がわからないからだ。だから怖くなる。
 ネオ蛭子、という感じだけれど、蛭子さんは長篇漫画を一度も描いたことはないし、たぶん蛭子さんならこの内容を8頁で済ましてしまうだろうと思う。8頁で済ませられる話だと思う。それほどに展開はないし会話もはっきりいってバカみたいだ。
「機内からこの建物を見下ろしてみたい」
「ならば機内の窓側に座らないとな」
 バカみたいな会話だ。全篇、登場人物たちはあたり前のことしか喋らない。面白い話をつくろうという意欲が作者からまるで感じられない。その意欲がなければ普通ひとは作品なんかつくらない。つくれないだろう。なのにこのひとは作っている。現にここにこうして一冊の本がある。
「台風の本だ」
「魚類の本だ」
「爆弾の本だ」
 バカみたいだ。しかもそれを何頁も。ゴダール、と言ってしまえばそういうもんなのだろうけど、芸術映画の虚仮威しで済ませてしまうとなにか、横山裕一にしかない重大な特質を取りこぼしてしまう気がする。
 美術史においておそらくは短命かつぶざまな結末に終わった未来派という芸術運動を、21世紀、「未来」になってしまったいま再生するがごとき営みに、このひとはなぜ多大なエネルギーを注いでいるのか。機械にもスピードにもノイズにも、何の期待も幻想も抱き得ないことがとっくに判明しているこの時代に。
 それがわからないから気になって仕方がない、そういう存在。漫画シーン、アートシーンの熱心な観察者ではないので、こういう才能の存在をいままで俺は全然知りませんでした。

 まあともかく、顔だよね。顔。顔の要件(目があって鼻があって口がある)は満たしてるけど要件満たしてんだからあとはどうだっていいだろ! とひとを脅迫する自由度の高すぎる顔、顔、顔。そしてその、千差万別といっていい外観なのになぜか全員が同じに見えてしまう不思議。
 通常の顔をした人物たちの中に超大陸パンゲア男がひとりいたら、彼は「宇宙人」の呼称を得ることは間違いない。誰も宇宙人を見たことがないにも関わらず。しかし、横山裕一ワールドでは全員が全員特異な顔をしている。だから普通が存在しない。誰かひとりが奇怪な外貌の人物として特殊視されることが構造上ありえない。
 こういう世界を作り上げたことに作者なりの何らかの希求が存在しているのかもしれない。

例えばテレビをつけて、時間がないから5分くらい見て消しちゃうことがある。ドラマの途中だったり、映画の途中だったりする訳だけど、でも最後まで観ないからそれがどうなったかは分からない、でも何か面白い時ってあるでしょ。ああいう時間を漫画にしたいんだ。漫画の中ではやれていない事がまだ他にもたくさんあるからね。…
( http://droptokyo.com/post/archives/360 )

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