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森鴎外、舞姫。




彼人々は余が倶に麦酒の杯をも挙げず、球突きの棒をも取らぬを、かたくななる心と慾を制する力とに帰して、且は嘲り且は嫉みたりけん。されどこは余を知らねばなり。

…、十五の時舞の師のつのりに応じて、この恥づかしき業を教へられ、…

…、定りたる業なき若人、…などと臂を並べ、…

…、読みては又読み、写しては又写す程に、今まで一筋の道をのみ走りし知識は、自ら総括的になりて、同郷の留学生などの大かたは、夢にも知らぬ境地に到りぬ。…

とはいへ、学識あり、才能あるものが、いつまでか一少女の情にかゝづらひて、目的なき生活をなすべき。…。人を薦むるは先づ其能を示すに若かず。…、人材を知りてのこひにあらず、…。意を決して断てと。…

…、若しこの手にしも縋らずば、本国をも失ひ、名誉を挽きかへさん道をも絶ち、身はこの広漠たる欧洲大都の人の海に葬られんかと思ふ念、心頭を衝いて起れり。…

我脳中には唯唯我は免すべからぬ罪人なりと思ふ心のみ満ち満ちたりき。

医に見せしに、過劇なる心労にて急に起りし「パラノイア」といふ病なれば、治癒の見込なしといふ。…

 嗚呼、相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我脳裡に一点の彼を憎むこゝろ今日までも残れりけり。
(明治二十三年一月)  

* * *

 普通に分量のある小説かと思っていたので、小品であることに意外の感を持った。
 小説というより、「文春にスキャンダルを暴かれた少壮官僚森林太郎がブログに書いた弁明記事」な感じだよねえ。少なくとも前半は。
 読んだ人の九割方が絶対思うでしょ。「ありえねえよ」と。「うそでしょ?」と。なんだよ、あの出会い。「これそこなる娘、いかがいたした」「じ、持病のしゃくが。持病の差し込みが」。時代劇かよ。森林太郎、うそ丸出し。
 通りすがりの異国人に窮状を手際よく洗いざらい話して家に招じ入れんでその厚情に臆面もなく縋る? ありえねえよ。
 なんかこう、実際の馴れ初めをものすごく不細工に隠してる感が見え見えなんだよねえ。

 しかし後半、「豊太郎」の懊悩はまあわかるというか、身につまされるもんがあるよねえ。成功を前にした男の打算。永遠の愛を誓っておいての裏切り。良心の呵責。森鴎外が生きた時代の一般倫理はいまの感覚から見れば狂っているけど、少なくとも鴎外自身の中には現代の俺たちと同じ感覚があり、その感覚で自分の打算と小心と功利を裁断している。だから小説舞姫はいまだその命を保っている。

 この小説が厄介なのは、現に森林太郎を追ってドイツから女が本当に来ちゃった史実だよねえ。てことは、小説は小説にあらで真実を含む自己告白でもあるわけで、「どっからどこまでが」ってのは非常に気になるところだよねえ。


130714追記:
 新潮、岩波のあとがきを読んで意外の感に打たれた。両方とも、容赦なく舞姫という作品の瑕疵を指摘し、森鴎外についても殆ど人格批判か? と思えるところまで筆誅を加えてはばからない。大文豪相手にでも、文庫のあとがきといえども、提灯原稿を必ずしも載せるわけではないらしい。文芸批評をなめていました。自身の不明を恥じました。
 鴎外、評判悪いね。そうか。保守派、日本支配階級のイデオローグたらんことは自他ともに認める、要請される立ち位置のひとだったんだ。
 確かに、こういうところ(愛よりも出世。家。)から人生出発しちまった以上、いまさら愛だ正義だ人間の解放だなんて恥ずかしくって口に出せねえ、もう自分はこの道を行くしかない、っていう壮絶な屈折が生涯を覆ってしまったのかもしれないねえ。鴎外は。

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