というよりも、もしかしたら、われわれの判断は、経験に毒される前の方が、純粋であるのかもしれない。
以来……というわけでもないのだが、私は、群衆を信用していない。集団を形成している人間は、その成員の一人一人が、いかに立派な人間であっても、集まっているという事実において、野蛮さを内包しているものだからだ。
以来……というわけでもないのだが、私は、群衆を信用していない。集団を形成している人間は、その成員の一人一人が、いかに立派な人間であっても、集まっているという事実において、野蛮さを内包しているものだからだ。
『場末の文体論』 小田嶋隆、2013年。
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