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スーパー8

 いま頃観た。



 タイトルといい中身といいああ、スピルバーグだな、時代設定79年くらいなのにすっげえ古臭いな、50年代パルプマガジンの感あるな、と思って観てたらエンドロールに「監督 JJエイブラムス」。スピルバーグはプロデューサーだったのね。
 エイブラムスさんってのは器用な職人さんらしいねどうも。顧客の要求通りに納品できる腕のいいシャシン屋さん。天才性、作家性は希薄、なんてのがネット上で得られた下馬評である。
 でもまあ大作、大衆映画の監督さんなんて結局それでいいんだと思う。
 エピソード7を「第一作の焼き直し」と酷評する向きもあるけど、このひとで適任だったんじゃないかなあ。俺は楽しんだよ。普通に面白かった。
 天才性、作家性のあるひとに任せたらえらいことなってたんじゃないかなあ。
 デヴィッドフィンチャーの、マーティンスコーシシのスターウォーズ観たいですか? 俺は嫌だね。御免こうむる。
 でもアキカウリスマキの、井上梅次の、つげ義春のスターウォーズはちょっと観たいかな。……いや、すげえ観たくなってきた。
「ハッハッハッハッハ。ジェダイの諸君。シスの暗黒卿は捕まらないのだよ。ハッハッハッハ。ハッハッハッハッハ」。ロケ地熱海。見せ場、ヘリを特別にチャーターした五分位も回すまどろっこしい逃亡劇。

 SF、特撮、十代の恋。NHK少年ドラマシリーズとおんなじものをアメリカ人が作る、ってなんだかとても不思議な感じがするのだけれど、考えてみりゃおんなじ人間だもんな。どの国にもおんなじオタクが、おんなじボンクラがいておんなじフォーマットのものに興奮すんだよ、たぶん。
 好きになった女の子に模型の説明する美少年の主人公。もうね。正視できない恥ずかしさ。現実でやったら嫌われキモがられる行動であり、それにそもそも現実の彼は美少年であるはずがない。しかし、これが万国の中二少年、その自画像であり理想、空想の恋なのだ。

 スーパー8で撮った映画、すっごい良かったね。いかにもな自主映画で。全然バカにできないよ。この程度のもんでも、俺、自分で撮ったことないから。
 なんだかめちゃくちゃ自分でも作ってみたくなった。

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