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10月, 2012の投稿を表示しています
 この文面にもまた冤罪「運動」独特の匂いが付着していると思った。私はゴビンダの無実を疑う者ではない。しかし、だからといってゴビンダがこの手紙にあるような家族思いなだけの人間だとも、清廉潔白な人間だとも思わない。ゴビンダが泰子以外の売春婦を殺害現場となった喜寿荘一〇一号室に連れ込んだことも、埼玉県西川口のストリップ劇場の舞台にあがりこみ、ストリッパーとセックスに及んだ人間だということも、私は知っている。そんな人間なのだから、泰子を殺したのはゴビンダに違いない、という短絡的な発想をとる人もなかにはいるだろう。しかし、私はそうは考えない。彼が自分の破廉恥な行為を法廷で自ら告白したことに、むしろ私はゴビンダの「真実」を感じる。 『東電OL症候群』 佐野眞一、二〇〇一年。

再審が東京高等裁判所で

検察は、無罪を求める異例の意見を述べました。 審理は30分ほどで終わり、来月7日に無罪の判決が言い渡されて確定することになりました。 …警視庁は、真犯人の特定に向けて再捜査する方針を固めました。 東電社員殺害事件再審 検察“マイナリさん無罪に” 10月29日 10時52分  http://nhk.jp/N44I5UKp 「再審ってこれありえないと思いますけどね」 「もう間違いなく犯人であると自信持ってますから」 警視庁元捜査一課長平田冨峰(フホー)の発言 on 120608クローズアップ現代   ーー傍聴席を見てください。あなたを裁判所まで送ってくれた警察官はそのなかにいますか。  丸井が小柄な体をめぐらして後をふり返り、「はい」と答えると、検察側から「異議あり」の鋭い声がとんだ。傍聴席の最後尾に座っていた警察官とおぼしき三人の男が、頬をポッと赤らめ、バツの悪そうな顔をした。  ーー警察官から法廷に立つ前、なにかいわれたか。 「憶えていないことは憶えていないといえばいい、と言われました」  私はあいた口がふさがらなかった。警察官の送り迎えつきの証人など日本の裁判史上前代未聞のことであろう。…  家を作ることだけを生きがいにして異郷の地で働いてきたゴビンダが、ふと人肌が恋しくなることがあったとしても不思議ではない。その時魔が差したように彼の前に現れたのが、クラブなど風俗生活を遍歴した果てに、円山町に立ち、客を直引きするほど転落した東電OLの渡辺泰子だった。  私は安い金でセックスのできる泰子と、一度の情交をしたゴビンダを、責める気持ちにはなれなかった。正直に言えば、泰子とセックスしたゴビンダに急に親近感さえ感じ、むしろ心が安堵しないでもなかった。  それにしても、と思う。警察がゴビンダを最悪では死刑もありうる強盗殺人の真犯人と見て逮捕したのは、泰子とたった一度セックスをしたということが、たぶん最大の心証となっている。…  予想していたことではあったが、トップリースは案の定、もぬけの殻だった。ドアには鍵がかかり、真っ暗な部屋の中には机と椅子が放置されていた。わたしがトップリースについて書いた「新潮45」の平成十年二月号が発売された同年の一月中旬直後、たぶん警察の通告で夜逃げ同然にして店をたたんだに違いない。私はガランとし

証言記録 東日本大震災

明日へ-支えあおう- 証言記録 東日本大震災第10回「岩手県宮古市」 岩手県の沿岸を走る三陸鉄道。大震災の津波で線路や駅舎が流された。しかし、社員総出で復旧にあたり、わずか9日間で運行再開を果たす。震災と闘った鉄道マンの証言記録。 http://nhk.jp/H744H8s3 うーん、面白い! 面白いっつっちゃいけない種類の番組なんだけど、面白いとしか言いようがないんだからしょうがない。 いまNHKで、テレビの中で、いちばん面白い番組なんじゃないだろうか。 時系列で淡々と事実が証言をブロックに叙述されていくだけ。そのギミックのなさが逆にいいんだと思う。 世の中の番組が「薄い素材をバカタレントのおしゃべりと感動を強要する音楽、過剰演出で盛り上げる」やり方でできているから、逆にこういう芸のない素朴な作り方の番組が活きて見えるのだと思う。 災害に見舞われた普通の人たちが自分の頭で必死に名案を見いだし協力して難局を克服していく姿は毎回リアルダイハードを見ている思いがする。
うーん。そーなんだよなー。中森氏の指摘のおかげでもやもやっとしたものに補助線が引けた。それまで知らなかったのか。この機に乗じて、じゃないのか。手土産に大将の首ぶら下げて、じゃないのか。 あまり爽やかな感じがしないんだ。そのやり口に。Dirty work の印象があるんだ。 https://twitter.com/a_i_jp/status/261845251944218625 https://twitter.com/a_i_jp/status/261847752143671296

校閲。

うーん。小田嶋さんに完敗だなー。小田嶋さんは俺に、そして俺も小田嶋さんに、お互い勝負を挑んだわけではないのだけれど。  これは、思いのほか重大な話であるのかもしれない。  校閲は、滅びつつある職種だ。  紙の雑誌が衰退し、中小の出版社が校閲の専門家を雇用しておく余裕を喪失するとともに、この10年ほどの間に、わが国の出版界において、校閲の水準は驚くほど急激に下降している。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20121025/238594/?P=4   うーん。完敗。
…あなた方はネパールにいるのだから、地の利を生かして彼らから供述をとり、それを現在、公判が開かれている日本の裁判所に送る考えはないのか、とたずねた。そんな質問にも、 「それはアムネスティの仕事の範囲ではありません」  という、木で鼻をくくったような答しか返ってこなかった。  私は心のなかで、やれやれとつぶやいた。…  私は善意がもたらす罪というものを感じないわけにはいかなかった。  同様のことは、人権、人権といいたてるだけで、人権回復の具体的なアクションを何ひとつ起こそうとしない人権派といわれるわが国の困った人びとのグループにもあてはまる。人権と一言叫ぶだけで、本当に人権が回復し、死刑になるかもしれない恐怖からたちまち解放されるなら、何も私も好き好んでネパールくんだりまで出かけてくることもなかっただろう。 「東電の面接試験を受けたとき、うちは四大卒であっても女性は短大卒と同じに扱いますと、はっきりいわれました。うちは総合職としての採用はない、目的別採用だという説明にも、ガックリ来ました。…私が目指したのはスペシャリストでなくゼネラリストだったので、東電の採用方針はタテマエとホンネが違う、と随分迷いました。 …」 『東電OL殺人事件』 佐野眞一、2000年。
 人間は良くも悪くも「物語」がないと生きていけない動物である。昭和という時代は間違いなく大きな「物語」だった。それが終わる頃、宮﨑勤事件が起きた。これは象徴的である。  私はこの見方に従って斎藤に「殺された女の子はたまったものではありませんが、宮﨑は昭和に代わる『物語』を自分の頭のなかでつくろうとしたんじゃないでしょうか」と聞いてみた。 「いえ、逆に透明すぎる世の中だから自殺が増えているのではないですか。いまの社会は十年後の自分が見通せるでしょ。だから逆に希望が持てなくなってしまう」  意表をつく答えだった。だが彼女が言う通り、インターネットの普及などによる見通しがききすぎる世の中の到来は、逃げ場のない社会を出現させ、簡単に絶望を招く温床になっているとはいえる。  新山はこの島の人びとは普段から死のイメージトレーニングができている、だからこそ自殺を忌避するのだろうと言う。 「名前をあげていいのかな。例えばうちでもわからない病気があって、聖路加病院に紹介するケースがあるわけですよ。聖路加は八〇パーセントが個室で、大部屋は二〇パーセントしかない。  で、生活保護受給の患者さんなんですが、と言うと、それだけで断ります。もう全然クリスチャンなんかじゃない(笑)。だいいち、あの(聖路加病院理事長兼名誉院長の)日野原(重明)先生っていうのは、なかなかの商売人なんですよ(笑)。  あの病院には高級マンションが隣接しています。前総理の母親の鳩山安子さんがいたところです。病気になったら、優先的に病院の個室を提供します、というのが、あのマンションの売り文句です。でも死ねばその権利はなくなる」  腹の中では聖路加は貧乏人を相手にしない病院だと思っていても、ここまではっきりと口に出して言う医者は、会ったことがない。日野原は医学界では "聖医" とまであがめられる存在なのである。 『昭和の終わりと黄昏ニッポン』 佐野眞一、2011。
 NHK9時のニュース。情感のこもった、芝居臭い、おばはんのワイドショーしゃべりやめてほしいんスけど。  そういう安っぽい、民放くさい演出、やめて欲しいなあ。
「騙そうと思えばいくらでも騙せるような。こんなこといったら怒られちゃうけど、はっきり言って、僕の姉弟を見るような感じだった」  飯島が常人ばなれしているのは、差別と紙一重のこういう表現が何の躊躇もなく出てくるところである。一国の総理をつかまえて、知的障害者施設に入っている自分の身内を見るようだったといえるのは、飯島くらいのものである。 「私も結婚する資格がない、子を持つ資格もない男です。だけど、妹だけは絶対結婚させちゃいけなかった。私は一人で大反対したんです。世間のことが何もわからない妹にセックスの味を覚えさせたらどうなる。妹が逃げ帰ったのは、亭主の親族が妹に手を出そうとしたからです。それを聞いたとき、私はあの家に火をつけてみな殺しにし、私の姉弟も女房子どもも全員殺して、青酸カリ自殺しようと思った」  ーーそれを思いとどまらせたのは、政治家秘書というお立場だったんですか。 「いや、それより女房の顔です。女房はその話をすると、えーんって泣くんです。そのくせ、オレはふだんは、新橋あたりで仕事と称して飲んでいる。もうとんでもなく醜い男です。姉弟や田舎のことを考えると、子どもの頃からずっと叫びたいくらいの気持ちです」 『小泉政権ーー非情の歳月』 佐野眞一、2004。
高円寺。 中野。

ハシシタ

週刊朝日「ハシシタ」第1回を読んだ。橋下徹への嫌悪をのっけから隠さない叙述に「さすが佐野さん」と脱帽した。いつも人の予測の上を行くひとだ。 大変な人気者らしいが、恐ろしく暗い目をした男だな。それが第一印象だった。  橋下はテレビカメラが回るとわざとらしい作り笑いを浮かべる。だがテレビカメラが回っていないとわかると、たちまち素に戻って暗い顔になる。この男は裏に回るとどんな陰惨なことでもやるに違いない。 こう書かれた本人がいい気分になるはずもないが、このレポートが暗い目、暗い顔の理由を剔抉して彼をその牢獄から解放する魂鎮めの書とならぬ確証がどこにあろう。連載は長い目で見らるべきだ。 ツイッタータイムラインを見る分に昨晩既に週刊朝日は膝を屈してしまったようだが、同業他社がこんなおいしい企画が流れていくのを指をくわえて黙って見ているはずがない。部数倍増、ベストセラー間違いなしの鉱脈である。連載獲得に向けた水面下の暗闘はとうに始まっているだろう。 新潮社から出るか文春から出るか。単行本が楽しみである。 佐野眞一の連載ひとつ守れなかった朝日がファシズムを食い止められるはずがない、なんてこともないだろう。戦争の勃発や原爆、原発の爆発など、朝日はこれまで危うく大惨事となりかねない悲劇を修羅場からけっして逃げない現場記者の超人的活躍で未然に防いできた。これまでそうであったようにこれからも光輝ある歴史を紡いでいくに違いない。 新刊で佐野氏もそうした朝日の実績・実力を褒め称えこそすれ、「日頃偉そうなことばっか言ってやがるが肝心なときには糞の役にも立たねえ優等生の腰抜け集団」呼ばわりすることなどけっしてないだろうことは春秋の筆法をもってしても火を見るより明らかであると言わざるをえない。  オレの身元調査までするのか。橋下はそう言って、自分に刃向かう者と見るや生来の攻撃的な本性をむき出しにするかもしれない。そして、いつもの通りツイッターで口汚い言葉を連発しながら、聞き分けのない幼児のようにわめき散らすかもしれない。 いまのところ橋下氏の行動は佐野さんの予想を忠実になぞっているように見える。 本人にはどうしようもない出自で人を差別して喜ぶ下卑た快楽に狂奔してきた残忍なサディストどもが佐野眞一という怪物を前に「そ、そんな、父親の職業とか暴いていいと思ってるのか。お、思い

I/O 11月号

「フルの電脳コミック」が消滅どころか昇格という事態を見れば、「ああ、アイオーもう終わりかも」と思わざるを得ないではないか。 この死んだ絵柄と筋立ての漫画をいままで切れなかったことも、一因なんじゃないんですか? もろもろの。

画力論争

betsumaga 別冊少年マガジン 何度も言います。圧倒的に画力不足です。小さな賞や担当がつくつかないレベルは、いろんな問題を画力さえあれば凌駕します。「え?でも、絵が下手なプロ作家いっぱいいる気が」と思っている人もたくさんいるかもしれない。本当にいるかどうかもまず疑問ですが、彼らに比べても画力が低すぎるんです。 2012.10.16 18:56 twitter 別冊少年マガジン編集者のツイートをきっかけにして画力論争とか言うのがツイッターの方で巻起こっているらしい。 そっちを見る気にはならないけど、たぶん論争の前提が対立する陣営の間で異なっているのだから噛みあうはずもないだろう、と推量する。 商業誌の編集者が基礎的画力を必須要件とするのはこれ当たり前だと思う。これは編集者が意地悪で「絵は下手だけど面白い漫画家」を排除しているのではない。蛭子能収の漫画の面白さをいきなり了解する読者は通勤中に、昼休み飯の片手間に週刊少年漫画誌を読む手合いの中に存在しないからである。 この漫画は面白いのかそうでないのか、自身で判断できているのかも疑わしい。能面のような無表情で少年漫画誌を面白くもなさそうに読む日本のサラリーマン諸氏の姿ほど不気味なものはない。たぶん習慣化された常同的動作でしかないのだろう。表面的に絵が下手に見えるというだけで「なんでこんなもん載せてんだ。こっちゃカネ払ってんだぞ」と漫画の本質そっちのけの品質管理を要求する、そういうバカ相手の商売である。フィルターは採用段階でかけざるを得ない。 一方の「絵なんか関係ない、面白さがすべてだ」という読者の原理主義は全く正論だけど、その正論に従ってご飯を食べられるようには世の中できていない。いや、同人誌という形でその理想はまったく自己責任で実現できる時代になったのだから自分でそうすればいいだけで、その理想主義を商業漫画誌の編集者に「おまえもそうしろよ」と求めるのはお門違いだ。自分も漫画家も食わせるため必死に働いている立場からすれば「いいよねえ、自由人は」と鼻で嘲笑われても仕方がない。 betsumaga 別冊少年マガジン ごめん!魂も見てるんです。見たい。 RT @ ryid56 @ hanrei_7 @ betsumaga 絵が下手とか言うなや、それでも魂込めて描いてんだぞ?俺は投稿してな
土橋とし子のなんとかいう本を読んだときにものすごい違和感を感じたのだが、いまの地点から振り返るとつまり「ブラック企業礼賛」、いや、礼賛とまではいかなくともすごーく「自己責任」チックな本だったからなんだと思う。 明日の成功をエサに食えるだけの給料もろくすっぽ払われずそれでいて長時間拘束の過重労働。デザイン事務所だったっけ? そういうとこの徒弟制度を懸命に耐え土橋とし子は見事成功をつかんだのでした……っていう物語に共感できず違和感ばかりの自分に読んでる当時は「自分に根性がないからだ」なんて思っちゃってたのだが、やっぱ違うよなあ。
東電OL事件弁護側検察を批判 一方、検察は今回の鑑定結果を受けて、やり直しの裁判で、これまでの方針を見直し、無罪を求めることも検討しているということです。 やり直しの裁判で検察が無罪を求める異例の対応を取れば、マイナリさんの無罪が速やかに確定することになります。 10月11日 06時49分 「無罪を求める」じゃなくて、「間違ってました。わたしが悪うございました。頭を丸めてお遍路百遍まわります」じゃないの? とるべき態度は。氏ねとまでは言わないからさあ。
LED照明の青色光 影響調査へ Jins PC とか Zoff PC ってほんとに効果あるのかしら。あるのなら欲しいけど。もうちょっと安価に。 東電OL事件 再び別人DNA 「検察は鑑定結果を受けて、これまでの方針を見直し、無罪を求めることも検討しています。」 バッカじゃねえの!? 死ねよ!!

今日のヨドバシ

IPSパネルだというのに Acer や asus は角度によって色味が変わった。つまり視野角が狭い。LG のほうはそんなことなかった。21.5型、17,800円。エイサーは15,800円、アスースは14,800円。 Nexus 7、2台展示してた。やや人だかり。19,800円。予約受付中。すぐ持ち帰れるブツはない。 画面は他のアスースタブレット同様IPSで美しいが、web browsing に難を感じた。反応がなかったりした。ちょっと購入意欲を削がれた。 ipad の発熱に驚いた。展示機で常時点灯ということもあろうが、同環境の ipad 2 は狂的な熱さなどなかった。店員さんによるとそのことからむしろ2のほうを選ぶひともいるとのこと。 結局ガレバンを使いたいわけなので、mini よりもやっぱ標準サイズかなあ、といろいろ悩むところ。ライトニング搭載、発熱も抑えた微修正モデルが同時に出てくれると理想的なのだけれど。 駅前のデルショウルームでもIPSモニターをチェックしてみた。13,800円と安いがやはり斜めから色味が変わる。LGがやはり視野角において飛び抜けている。まったく変化しないのだから。 でもデルの光沢IPSはベゼルをなくし(たように見せ)た工夫もあいまってデザインに高級感があり、「ああ、光沢液晶ってきれいだな」と素直に思った。もちろん日常作業に使い始めた途端後悔することは目に見えているのだけれど。

「星を追う子ども」の感想

 いまから「星を追う子ども」という作品の悪口を言います。星を追う子どもという作品で涙を流した方、新海誠ファンの方は読まないほうがいいと思います。以上、配慮でした。  いやあ、ひどいね。ひどすぎるね。なんだろうこれ。  何を考えているんだろう。  もうね、10分が限界だよ。観るの。通して観るの。だからちびちびちびちび観たよ。何ヶ月もかかって。そんないやなら観なきゃいいじゃんだけど観たよ。  おそろしく長い悪口になると思うので最初にサマリーだけ、見出しだけ列挙しておく。  宮崎駿オマージュ、キャラクターデザイン、頭でっかち、5秒ごとに「はっ!」。マイケルベイ方式。音楽盛り上げ。長い。無駄に長い。新興宗教? 金どっから出てるのよ。新任の先生は特務機関員、と思ったら実はアガルタ研究者で元軍人で奥さんを蘇らせようとしているのだった! 厨二女子の妄想。  オマージュという言葉を最初に知り、かつそういう言葉で修飾することに何の意味があるのか? と初手から疑問を抱くきっかけになったのはデパルマのアンタッチャブルだった。既にポチョムキンを複数回見ていた俺にとって、デパルマが乳母車を階段に転がすことが引用行為であることは理解したが、なぜそれがこの映画のあの場面において引用されなければならないか、また、なぜそれが「オマージュ」と特別に横文字で呼称され、「な、これ、エイゼンシュテインへのオマージュなんだぜ。すごいだろう」と、それこそ敬意を強要されなければならないのかがさっぱりわからなかったのだった。それはいまでもわからない。  その愚行を更に低レベルでこれでもかこれでもかとリプレイしてくれたのが本作「星を追う子ども」である。  しかしどうなんだろう。宮崎駿、試写会招待あったんだろうか。これはさすがに本人も、惣流アスカラングレー同様「ぎぼぢわるい」とうめくしかなかったのではないだろうか。  もう最初から、5分と見続けることが苦痛になってしまったのだが、その原因は複数あって、まずはキャラクター造形、キャラクターデザインにある。  主人公の女の子、全然萌えない。頭でっかち、間抜けの小足で、なんだか体型のバランスが変なのだ。サザエさんみたい。それでいて顔だけはナウシカ、さつき、キキ。  パンチラを期待させるサービスカットが豊富だが、「こいつの見えても別に……」な気