スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

8月, 2023の投稿を表示しています

「ホステージ」Hostage, 2005.

 午後ロー221108の録画を観た。 「え、あのひと(重傷)小屋に置いてっちゃうの!?」って思った。んで車運転して帰るんだ(重傷)。 おそらくは政府中枢のあれだろうに大丈夫? まだ危険なんじゃない? 巨悪を滅ぼすとこまでやんないと、とか思ったけど、拡げた風呂敷杜撰に回収する過程で大抵の映画は下手打ってるんでこういう投げっぱなしがむしろいいのかもとも思った。 え、この八方塞がりを打開できんの? って緊張感が最後まで持続する演出は見せるものがあった。監督フローランエミリオシリ(知らない)。 ロン毛のキチガイをプロファイリングして「あーやばいわこいついっちゃんやばい奴やわ」て交渉人ふたり顔を見合わすとこもよかった。ダイハードフォロワーの凡庸な演出だとたいていこのふたりを対立関係に置く。それをせず普通に良好な関係で共に有能なのがよかった。

「ワールド・ウォーZ」World War Z, 2013.

 金曜ロードショーの録画160219をいま頃観た。 いろいろとひどい。 就中(なかんずく)中盤のイスラエルは映画の出来不出来以前にポリティカリーにひど過ぎて(インコレクト)話にならない。壁を築いたが助けを求める難民はすべて受け入れているお優しいイスラエル国家。その優しさに甘えて浮かれて踊り出すアラブの野蛮人。そのせいで崩壊する壁。すべてが現実のイスラエルと真逆であり「イスラエルを翼賛しアラブ人を侮蔑する」偏向甚だしい描写になっている。この一事をもって映画を全否定していいくらいにひどい。 しかし最後まで我慢して(耐えきれず何度も離脱しかけた)観て思う。格別政治的にイスラエル寄りだからとかそういうことではなく、単純に頭が悪いのだ。偏差値が低過ぎるのだ。「パレスチナ紛争なにそれおいしいの?」だろう。 頭からしっぽまで主人公とその家族のために世界が回っている。なんであそこで手榴弾? バカふたり無理無理乗り込んだおかげでみんな巻き添え。 なぜ車使わない? 行きも帰りも? バカじゃねーの? カテゴライズすればこれも家系でしょう。感情移入しやすくするための常道? 馬鹿言ってんじゃねーよ俺は逆に死ね、全員死ねと思ったよ!

「運び屋」The Mule, 2018.

 午後ローの録画221118をいま頃観た。とてもよかった。 プロット的にグラントリノとほぼ一緒だが俺はむしろこっちの方がわかりやすい分好もしく感じた。 主人公アールはインターネットが嫌いなお爺ちゃんだしインターネットのせいで仕事を失ったのだが、その彼を駆動するエンジンが実はネットに蔓延する「承認欲求」そのものであるのがうまい。メールひとつ打てないのにやっていることはネット民と同じ。称賛を得るため彼はヤクの運び屋と知りながら抜けることができなくなる。 ワル1号もワル2号も恫喝を任されたチンピラなのに結局はアールの人柄に触れ感化され心服する側に回る。アールが善人だから、ということももちろんあるがここで彼の軍歴をネグるわけにはいかないだろう。つまりヤクの密売をシノギにワルぶってる連中など実戦、本物の殺し合いを生き延びた者からすれば幼稚園児なのだ。格別威嚇も自慢話も必要ない。格は自ずから出るし脅迫も児戯に等しい(わざわざ招待されたのも肝の座りっぷりを見抜く目が親分格には備わっていたということだ)。 しかしなによりよかったのは山田康雄の吹き替え。そうか最近のもやってるのか山田康雄これが遺作かなとか思いながら観てたら……なんと吹き替えは多田野曜平というひと。完全に山田康雄。完コピ。声がそっくりにとどまらず声優として上手い。そうかこういうひとがいるのか。知らなかった。 多田野氏で スペースカウボーイを ぜひ新録して欲しい。あるべき吹き替えはイーストウッド山田康雄、トミーリージョーンズ小林清志でしょどう考えたって(しかしそうすると二代目小林清志師匠も必要になる)。

「プレデターズ」Predators, 2010.

 金曜ロードショー180921の録画をいま頃観た。 導入部のもたつき(宇宙人に召喚されたことを全員理解する過程が不自然。下手)で「低予算B級だな」と早々に見限ってあとは惰性で観ていたのだが後半はなかなかよかった。彼は医者を自称したがそれを信じなければならない必要はなるほどひとつもなかった。その後の行動ひとつひとつが注意深い観客に対するサインだし凶悪犯罪者の存在もまた彼のシャドウ、同類を示唆するものだった。ここにいるのは殺人のプロだけ。脚本としてうまくできている。 ひとりひとりの目の動きまでチェックしていた主人公は当然どこかの時点で正体を見破っていたと見るべきだろう。負傷した彼に対する極端な冷たさの理由である。

「その女諜報員 アレックス」Momentum, 2015.

午後ロー220914の録画をいま頃観た。  オリガキュリレンコは美しかった、どの瞬間も美しかったけどそれだけの映画だった。 2015年作品というのが信じらんない。いま時の映画でこのレベル? さすがに通用しないだろう古臭過ぎて。 「戦いはこれからだ」みたいな終わり方だったけどこの出来で続きが撮れると自信たっぷりに思ってる態度に目を見張った。作り手の自己評価が高過ぎる。 「我々はある陰謀を企んでいる」て本人がそういう言い方しないだろう。潜入行動中に携帯の着信受けるなよ。等、いろいろ不備が目立つ。 「この場面まだ引っ張る? もう飽きたんだけど」言いたくなったのが複数回。映画うまくない男(お)が撮ったと見た。 続編は当然なさげ。ねえだろ。

「ホームレスが中学生」2008.

  アマプラで観た 。 とても良かった。「悦楽交差点」と併せてもう完全に城定監督のファンになってしまった。ファンというか、「このひとは絶対ハズレがない」という信頼感。 たぶん全力では作っていない。でもその余裕が逆に頼もしい。無理をしない、出力70パーだからこそできる境地がある。 内容的に自叙伝風味が強い。そして映画愛。庵野劇場に飽いた君(俺)、これだよ。これこそが監督の私小説だよ。私小説作家だよ。 望月美寿々演ずる映研女子若松美咲が素晴らしくかわいいのもヨシ。ほんとに見惚れてしまった。ほのかな恋の描写もよい。 この設定だと終盤まで陰惨ないじめが続くのかな、観るのがつらいなと予期したらそこらへんは序盤でさらっと済ましてしまう。気持ちいいしうまい。須崎くん、あっという間に馴染んでクラスの人気者(どころかモテモテ)。予定調和的展開は脚本段階でカット。わかってるひとだ。 ドキュメンタリー、ことに浮浪者を素材にしたそれ、が持ちかねない欺瞞に翔太が気づく展開もよい。なんと彼はそれを「俺もなる」という投機によってアウフヘーベンするのだ。このタイトルからしてふざけたような作品が実は秘めている真面目な先進性、卓越を示すものだ。 2008年にして2021年の事件を予見している。思想的に遥かに凌駕している。河瀬直美は城定監督の前に跪拝せよ。お前には百年経っても撮れない作品だ。 「ホームレスって。家あんじゃん」。セリフのひとつひとつが面白いのも城定作品の魅力。いちいち吹き出して笑ってしまう。 完成映画の締めで美咲が結構ひどいことを依然明るく言ってるのがまたよかった。「少しわかりました!」少しかよ!

「悦楽交差点」2015.

  アマプラで観た 。 大傑作。柳下氏が城定監督を激賞するその理由がよくわかった。 深夜アニメやそういう系統の漫画に触れるにつけ「なぜ美少年に自身を仮託するのか」「なぜ異世界で天下取ることばっか夢見てんのか」「バカで駄目で気持ち悪い自分をありのままに見つめ描いたらこれ傑作になるのに」と思うことが多かった。寡聞にしてそれを実行している作家が既に存在していることを知らなかった。本作がまさにそれだ。 一片の自己欺瞞も美化も言い訳もない。等身大の貧乏で馬鹿なモテない男(しかもストーカー)がここに描かれている。それを観た俺たちの胸に湧き上がるこの感情はなんだ? 鏡を見るよう強いられた嫌悪感でも怒りでもない。「これだよ! これが観たかったんだ! これは俺だ! ここに俺がいる!」 自分を正確に理解してくれる友(作品)が現れたとき、生ずる感情は喜びに決まっている。 異常にテンポがよい。無駄がない。①低予算、②たいてい2日とかそんくらいで撮る、③尺、70分。これら一般に不利な条件が鬼才城定マジックによって「言いたいこと、描きたいことだけ撮る。余計なものは入れない。そんな暇もない」簡潔な叙述に昇華しているのだろうと思料する。 宗教パンフが重要な役を果たしているのだが、そもそもの発端が「一千人目が俺の嫁」。理由なき戒律を自身に課しているセルフ宗教行為から彼の狂気は始まっている。 濡れ場は格別要らんなあと思ったくらいにストーリー、キャラクター描写そのものが面白い。彼の一挙手一投足がすべて魅力的(バカ過ぎて愛らしい。治験!)だし彼女の本音(「これは収入のいい仕事なんだよォ!」)も結婚の本質を喝破している。安価な売春婦はだから暗示比喩伏線なのだ。

「ベイビー・ブローカー」브로커 Broker, 2022.

  アマプラで 観た。 ペドゥナの美しさに最後まで見惚れてしまった。いやー、目を見張る美人だ。 映画はというと、んー、疑似家族への移行が早過ぎ、ペドゥナ刑事のほだされも早過ぎで「やっぱ韓国映画。情が篤(あつ)い」と思った。いや、ハッピーエンドは好きだからそれはそれでよいのだけれど、早過ぎだよ、ということ。ペドゥナ刑事は最後まで冷酷冷徹を押し通して欲しかった。それと情のある粋な計らいは両立するでしょ? 連邦保安官ジェラードのように。 ソヨンが授乳しないのは実は母親じゃないから、みたいなことかと思ったらそういうことでもなくてそのまま終わってしまった。謎だ! ソンガンホはなに、最後ヤクザ殺したの? んで捕まったの? それともこれからずっとお尋ね者? 違う? ヒッチハイクしてたガキはサッカー少年? それを拾ったタクシーはなに? ちょっとラストいろいろわかんないまま終わった。でももいちど全部観ようってほどの熱意はわかない。

「ミッドサマー」Midsommar, 2019.

  アマプラで 観た。 残虐描写の噂は容赦なく漏れ伝わってきていたからびくびくしながら観た。ラスト彼が熊と並べられるところで「わー始まる、熊にしてるのとおんなじことされる」とか目を覆ったらそれはさすがになかったので助かった。 村の奇習を取り除くとつまりこれ青春群像あるある劇になる(青春真っ盛り=ミッドサマー)。冷めた恋。裏切り。友情の亀裂。将来への不安。功名。嫉妬。だからストーリーラインとしてはありきたりなんだけど村祭りの具体的描写が凄いので持ってかれてしまう。 俺の目からすると彼女は彼女の自己分析通りに依頼心の強いめんどくさい女だ。これは確かに別れたくなる。俺は彼の方に共感したな。逃げたくてたまらないのに更にめんどくさい大事件が起きて「ここで逃げたらみんなから人非人の烙印を押される」という窮境。そりゃ気晴らしに旅行にも行きたくなるさ友達同士。ところがそこについてくるという。「まじかよ」「ガキか」当然みんな困惑。 「迷惑だったらわたしは行かない」「いやいやいやそんなことないうれしいよ」。そりゃみんなそう言わざるを得ない。まさに空気読めよ案件。もうなにからなにまで逃げたくなる女ナンバーワン。だから結末はどうにも彼がかわいそうだ。不実の報い? 彼は向精神薬にも性交勧奨にも抵抗していた。 もっかい観ないと詳細にめぐらされた仕掛けがわかんないけどペレはつまり最初から生贄引き入れ目的に他人と友誼を結んでいたということ? ダニーの参加は偶然にしか見えないが。 伝承ノートに真理を描き込む不具異形の者は近親交配で意図的に作っているという。ナチと真逆に見えて実は一緒の優生思想である。遺伝(へレディティー)の人為的コントロール。北欧神話を信じる北欧のど田舎が舞台であることには理由がある。 追記: ペレの発言、ダニーへのボディータッチやらなにやらをつらつら思い返すに家族の不幸含めて全部計画通りだったのだろう。もちろん複数名の別働隊(自殺、無理心中に見せかけて三人を殺した)もアメリカに潜入していたのだろう。妹の情緒不安定すら彼らの操作によるものだったとしてもおかしくない。そこまでやりかねない狂気のカルト。

「ヘレディタリー/継承」Hereditary, 2018.

  アマプラの吹き替え でいま頃観た。 込められた寓意とか象徴的意味とか全っ然わかんなかったけどまあ気持ち悪かった(褒めてます)。終盤ピーターの後ろ、壁を歩くように浮遊する母親がまあキモいキモい(褒めてる)。そして意味不明の戴冠式。キリスト像が堂々出てくるからキリスト教なんだろうけど地獄とか言ってるしあんまふつーのキリスト信仰ではなさそうだ。 画面に出していいのってくらい不細工なチャーリー。なのに異常に胸だけは発達してるのが余計に不憫。 それが序盤早々にあんなことなって(道中の電信柱に一瞬映るあの紋章!)からのピーターの帰宅行動が異常だけど「まあわかるわな」という。しでかしたことのでかさで申告すらできない。まっすぐベッドに潜り込んで現実から逃避一択。わかる。しかし容赦なく聞こえてくる母親の悲鳴。 親切な婦人の正体がわかるシーケンスも「新興宗教に関わってえらい目に遭う、いやそれ以上の災難」な展開で凄い。発掘される婆ちゃんとカルトの関わり。あのバスタブかなんか入れられて金貨かなんか浴びてる写真が壮絶カルト、超絶気持ち悪い(褒めてます)。 しかもこのカルト、いんちきじゃなくほんとに異界と、超自然とつながってるので余計にたちが悪い。