大傑作。柳下氏が城定監督を激賞するその理由がよくわかった。
深夜アニメやそういう系統の漫画に触れるにつけ「なぜ美少年に自身を仮託するのか」「なぜ異世界で天下取ることばっか夢見てんのか」「バカで駄目で気持ち悪い自分をありのままに見つめ描いたらこれ傑作になるのに」と思うことが多かった。寡聞にしてそれを実行している作家が既に存在していることを知らなかった。本作がまさにそれだ。
一片の自己欺瞞も美化も言い訳もない。等身大の貧乏で馬鹿なモテない男(しかもストーカー)がここに描かれている。それを観た俺たちの胸に湧き上がるこの感情はなんだ? 鏡を見るよう強いられた嫌悪感でも怒りでもない。「これだよ! これが観たかったんだ! これは俺だ! ここに俺がいる!」
自分を正確に理解してくれる友(作品)が現れたとき、生ずる感情は喜びに決まっている。
異常にテンポがよい。無駄がない。①低予算、②たいてい2日とかそんくらいで撮る、③尺、70分。これら一般に不利な条件が鬼才城定マジックによって「言いたいこと、描きたいことだけ撮る。余計なものは入れない。そんな暇もない」簡潔な叙述に昇華しているのだろうと思料する。
宗教パンフが重要な役を果たしているのだが、そもそもの発端が「一千人目が俺の嫁」。理由なき戒律を自身に課しているセルフ宗教行為から彼の狂気は始まっている。
濡れ場は格別要らんなあと思ったくらいにストーリー、キャラクター描写そのものが面白い。彼の一挙手一投足がすべて魅力的(バカ過ぎて愛らしい。治験!)だし彼女の本音(「これは収入のいい仕事なんだよォ!」)も結婚の本質を喝破している。安価な売春婦はだから暗示比喩伏線なのだ。
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