ダブルダイナマイトさんの「あしたのジョー2全話振り返り解説」がやたらめったら面白かったので、アマプラの最終4話だけとりあえず観た。
終盤はほぼ劇場版と被っていることもあって杉野昭夫氏の全作画が素晴らしい。完璧に近いリマスターの威力も相俟っていまでも充分見れるクオリティーだ。
矢吹丈の性欲欠損について考えてしまう。恋愛を解しない朴念仁なのはまあいいとして、彼に性衝動がまったく見られない不自然が気にはなっていた。
これはたぶん物語上の要請、必然があったような気がする。高森朝雄が自覚的であったかはともかく。
施設を脱走した天涯孤独の浮浪児で勿論生存の要請として当然に盗癖はあり暴力衝動も過多である。その彼に思春期通常男子の性欲も許してしまうとたぶん矢吹丈の物語は拳闘家ではなく連続婦女暴行絞殺魔。永山則夫の生涯になってしまう。
丹下段平と共にリングを目指すためには、どうしても彼を性欲欠如の一種の不具、畸形的青年にする必要があったのではないか。
その結果あの白木葉子とのある種ストイシズムの極限とも言える名シーンが生まれたわけだが、それはまた同時に「こんな奴は存在しないし、いたとしても長くは生きられない」ことの証左でもある。
パンチドランカーで命を縮めた? いやたぶん、丹下段平に出会えなければ、ジョーの命はもっと短かったのではないか。ボクシングに出会うことで、むしろジョーは長生きできたのだ。そんな気がする。
白木葉子の顔がいちいち気になってしまった。ひたいが妙に狭くおもなが。そしてなかんずく髪型。ああいうヘアスタイル(オールバック長髪)はちょっと物理的に不可能ではないか? 昔の時代劇でくさり鎌とか振り回すなんたら一刀斎的な、はげ長的な変さがある。
ちばてつやも高森朝雄も杉野昭夫も出崎統も、女性の服飾には不案内だったのだろう。まあ当時の少年誌なりアニメーションの水準から言ってそういう時代だったろうし。
しかしダブルダイナマイト諸氏が語るように女性心理の機微の描写は抜群。漫画のアニメ化にとどまらない凄絶な深みに到達していた。
てらさわ氏が言ったように、「ちゃらちゃら、ぜんぶ一旦御破算! 結婚とかもう全部なしにしてさ、みんなでなかよくやろうよ!」。ひたむきでもなんでもないモラトリアムな、面倒は全部先延ばしにした、そういうジョーの、のりちゃんの、白木葉子の物語もあり得たのではないか。俺たちにはそんな彼らをせめて夢想する自由がある。
コメント
コメントを投稿