俺はツイッターで24人しかフォローしていないのだけど、それでも公開から僅か3日で明らかにネタバレと思われる重要情報が容赦なく目に瞬時に飛び込んでくる。防ぎようがない。これはもう「観る前に中身が全部わかっちゃう」事態を避けるため一刻も早くモノホンを観に行かざるを得ない。せめて一週間くらいは経ってからぎゅう詰めでない状態で、と思っていたがツイッター時代はそういうのんびり生活を許してくれない。
24人フォローの俺ですらそうなのだから、千人とか八千人フォローとかのひとって、本篇はおろか制作裏話まで知悉することを余儀なくされているのではないだろうか。
大傑作でしょう。
序、破、Qと全部傑作で、しかも一作ごとにより良くなっている。当たり前っちゃあ当たり前だけど、そうはならないのがシリーズものの通例なのだからやはりすごいことだ。
鉄。メット。LCLは? 青。圧倒的な青。ブッダ。版権。キングレコード。キングはやっぱりキングレコードから? 目が覚めたら戦争犯罪人。原子力村。兵士。技術者。科学者。
神殺し。神は覚醒初號機を意味する?
14年たっても14歳。永遠の14歳。永遠の中学2年生。
乞食小屋の美少女。表札。ブラック綾波レイ。十字架。回転する別の地球。
「少年! 将棋はさせるか!」。出色のフィーチャリング冬月。
何事か吹き込まれ利用される人生。
首輪。付け直す必然性はゼロだが?
老人たち。「予言を成就させる」という転倒した思考。カルト。
生き残ったネルフ。完全無謬、千手先まで読める軍師ゲンドウ。
そら無気力なりますわ。ひとつも悪くない碇シンジ君。
「つづく」の文字。シン=新=真=シンちゃん=sin(罪)。末尾に見えるのは「1」?
のれんに腕押し、糠に釘、という言葉を二時間の映画にするとこういうものになるのだと思う。
言葉にすればそうなるけど、しかしこの内容の充実度はどういうことだろう。しかしあらすじを言葉にまとめればこうなってしまうのだ。どういう映画なんだ。
綾波を救いたいというシンジの願いも、いや、遡ってヤシマ作戦すらも、すべてが無駄。すべてが徒労。いろんなひとのいろんな頑張りが全部ゴミ箱行き。そして綾波も救えていない。目の前にいるのはアダムの容れ物とか呼ばれる乞食小屋に住む変な女。からっぽの女。
無駄、どころか、サードインパクトを引き起こした張本人として僅かに生き残った(らしい)人々から目の敵に。起きたら戦犯。目が覚めたら人殺し。犯罪者、囚人扱い。そらシンジくん怒らはりますわ。零號機に飛び乗りますわ。DATウォークマンぶん投げますわ。
この描写を見るに、実は碇ゲンドウこそが最もひととして正しかったのだという意外な事実が判明する。
彼は誤魔化し、色仕掛けを使わない。「必要だから呼んだまでだ」「予備が使えなくなった」「なぜここにいる」。すべてが本音、正直な要求であり、その本音の上に「父親の情愛」「息子への期待」めいた糖衣を被せるごまかしを彼はとらない。冷たい父親と見られ憎まれるリスクを彼は回避しない。憎まれ役を堂々と引き受ける誠実がゲンドウにはある。
色仕掛けやら励ましやら擬似家族愛情作戦やらでシンジくんを籠絡するミサトの行動についてゲンドウが一瞬でも何らかの感慨を持つことがあったとすれば、そのとき彼はただ鼻で嘲笑ったのだと思う。いよいよ追い詰められて余裕をなくしたとき結局ミサトのとる態度はゲンドウのそれと寸分変わらなかった。そういうことを、そうなることを、ゲンドウはとっくの昔に知悉していた。ひとはひとを利用する形でしかひとと接することはできない。その絶対の真実を、ゲンドウは根底から理解していた。
あえて彼らのために弁ずるなら、その絶望こそが彼らゼーレの老人と碇ゲンドウをかなりにいかがわしい世直し作戦に向かわせたのだと思う。おそらく彼らに悪意はない。人類は変わらなければならない。このままの人類に生きている価値はない。これこそが人類のためなのだという本当の善意から出ている行動の可能性がある。
京大のリベラルな教授であった冬月が内心のそれほどの転回もおそらくないままにゲンドウの補佐を黙々と務めている。そのことはゲンドウの計画がそれほど悪意に満ちた、常軌を逸したジェノサイド計画ではないことを暗に保証しているように思う。
感想2
感想3
言葉にすればそうなるけど、しかしこの内容の充実度はどういうことだろう。しかしあらすじを言葉にまとめればこうなってしまうのだ。どういう映画なんだ。
綾波を救いたいというシンジの願いも、いや、遡ってヤシマ作戦すらも、すべてが無駄。すべてが徒労。いろんなひとのいろんな頑張りが全部ゴミ箱行き。そして綾波も救えていない。目の前にいるのはアダムの容れ物とか呼ばれる乞食小屋に住む変な女。からっぽの女。
無駄、どころか、サードインパクトを引き起こした張本人として僅かに生き残った(らしい)人々から目の敵に。起きたら戦犯。目が覚めたら人殺し。犯罪者、囚人扱い。そらシンジくん怒らはりますわ。零號機に飛び乗りますわ。DATウォークマンぶん投げますわ。
この描写を見るに、実は碇ゲンドウこそが最もひととして正しかったのだという意外な事実が判明する。
彼は誤魔化し、色仕掛けを使わない。「必要だから呼んだまでだ」「予備が使えなくなった」「なぜここにいる」。すべてが本音、正直な要求であり、その本音の上に「父親の情愛」「息子への期待」めいた糖衣を被せるごまかしを彼はとらない。冷たい父親と見られ憎まれるリスクを彼は回避しない。憎まれ役を堂々と引き受ける誠実がゲンドウにはある。
色仕掛けやら励ましやら擬似家族愛情作戦やらでシンジくんを籠絡するミサトの行動についてゲンドウが一瞬でも何らかの感慨を持つことがあったとすれば、そのとき彼はただ鼻で嘲笑ったのだと思う。いよいよ追い詰められて余裕をなくしたとき結局ミサトのとる態度はゲンドウのそれと寸分変わらなかった。そういうことを、そうなることを、ゲンドウはとっくの昔に知悉していた。ひとはひとを利用する形でしかひとと接することはできない。その絶対の真実を、ゲンドウは根底から理解していた。
あえて彼らのために弁ずるなら、その絶望こそが彼らゼーレの老人と碇ゲンドウをかなりにいかがわしい世直し作戦に向かわせたのだと思う。おそらく彼らに悪意はない。人類は変わらなければならない。このままの人類に生きている価値はない。これこそが人類のためなのだという本当の善意から出ている行動の可能性がある。
京大のリベラルな教授であった冬月が内心のそれほどの転回もおそらくないままにゲンドウの補佐を黙々と務めている。そのことはゲンドウの計画がそれほど悪意に満ちた、常軌を逸したジェノサイド計画ではないことを暗に保証しているように思う。
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