日本の“進歩的文化人”たちがこぞって反安保闘争に参加するなか、宮本は明らかに彼らと一線を画していた。「思想の科学」(昭和三十九年五月号)が学生運動についてのアンケートをとったとき、宮本は、私は抵抗のエネルギーを否定するものではない、と前置きして、次のように述べている。
〈いろいろの闘争の行なわれた土地を時たま訪れることがあるが、そこに残された傷跡は深い。そうした事に対しての責任をとろうとする者は少ない。…〉前出の網野善彦は、温和な宮本が、領主による農奴支配に力点を置いて日本の中世、近世をとらえようとする石母田正の史観をこっぴどく批判しているのを聞いて、ひどく驚かされたことがあった。宮本はあくまで反体制の立脚点に立ってはいたが、それを一つのイデオロギーや党派性に収斂させようとする動きには敢然と歯向かった。
『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』 佐野眞一、一九九六年。
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