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クイックニングの感想 2

「次回予告」で語られた内容全部すっ飛ばし演出が凄い。さすが。
 セカンドインパクト後の世界すら「核戦争後のディストピアに成立した悪夢のような臨戦国家体制」だったのに、今回はその度合いが更に進行。崩壊した世界の人類最終戦争。イアンギランバンドのジャケット感。



 ミサトからはエリート公務員の驕り、調子乗りの空気も失せ、情愛のかけらもない司令官ぶりのみが一層突出、固着。
 アーガマならぬブッダ。宗教イクスプロイテーションムービーというのは一ジャンルとして定着しておりますが、まさかその流行りをエヴァが取り込むとは。
(追記:これ俺の聴き間違い、勘違いで、ブッダならぬ「ブンダー」が正解のようです。たぶんドイツ語の wunder、英語の wonder。驚異。奇跡。
 組織名ヴィレ Wille と合わせれば意思の奇跡、となりましょうか。)
 たぶん同じキングレコードで音源的には問題ないのでしょう。あったとしてもおとなの手続きを踏んで使えるようにするでしょう。感無量だったな。大笑いで感激で感涙。



 みんな「そうか、それで再放送」って思っただろう。偶然だと思うけど。来月アタマあたりかな。
 まさか超弩級巨大戦艦で来るとは。自分の得意な持ちネタで来るとは。当然かつ意外な大ネタ。
 カオルくん回だから当然今回は特定女子向けなのだが、まさかの展開に少年のメカ魂も十分に満たされたはずである。

 永遠の14歳。「エヴァの呪い」は作中の彼らのみならず、14年たってもいまだエヴァに呪縛されている俺たちの有りようを指していることはいうまでもない。
 さて、ここで面白いのが、その自覚があるかないかによって生まれる作品評価の差である。
 この映画のシンジくんに「ヘタレ」の悪罵を投げつける向きもいるらしい。
 ぼくちんおとなだもん、シンジってヘタレ、情けねー奴、という評価を下せるのは、年齢のせいかあるいは境遇の許すゆえか、自身の万能感を疑う契機を持たずいまに至る幸福な御仁と推察できる。そして、「シンジは俺だ。俺自身の姿だ。いつまでたっても何をやっても子どものまま。よかれと思ってやったことも全部裏目に出て。やってきたことは全部無駄。なにひとつ成し遂げることができなかった」と苦い無力感でシンジの境遇に共感できるのは、おそらく現実に直面し、現実に傷つく契機を一度は持った、持たされた人間である。
 ここにひとつの逆説を見ることができる。本作のシンジに共感できるかどうかがなにかのひとつの標識となっている。自分の中に中学二年生を見れるかどうかが、実は中2病からの距離と負の相関関係を持つ。

 エヴァに関してストーリーやら設定やらの矛盾を指摘するのはあんまり意味がない。監督は見せたい絵(というより本人が見たい絵)があって作っているし、観る方もそれがまたまさに観たいものなのだから、「話がおかしい」と突っ込む奴は門外漢、迷惑な方以外の何者でもない。その野暮を承知で疑問点をいくつか。
 初号機を衛星軌道に凍結したのはネルフ?
 人類補完計画って、シロウト目に見ても人類絶滅計画の匂いぷんぷんで、つまりはサードインパクトとイコールなのだと思うのだが、なんでネルフ本部=ゼーレ側の少年カオルがロンギヌスの槍でその完全発動を阻止したのか。そしてなぜそのカオルくんが箱根のネルフにいるのか。ゲンドウと行動を共にしているのか。
 サードインパクトはほんの数分のことだったと思うが、それで箱根のみならず世界中がしっちゃかめっちゃかなっちゃったのか。あの「ミニ地球」はなんなのか。あそこに閉じ込められちゃったひとたちとかいるのか。トウジもいるのか。
 へんな十字架が林立してるけど、地球上に巨大な物理的変化が起きてるのか。

 今回の「つづく」に俺は快哉を叫んだね。ああ、もうこれでエヴァ終わるんだ、という愛惜の気持ちが今回裏切られたのはむしろ喜びだったね。やった! まだ見れるんだ。「Air」末尾の「つづく」とは違う。あの残念感、裏切られ感はまるでない。

 ぐでんぐでんの骨なしクラゲ、タコ人間にそりゃあなりますわ。目の前で友達あんなことなっちゃって。なにやっても裏目。やる気出したら大失敗。
 この描写で救われる人が確実にいる。すべてに裏切られた人間からすれば、向日的建設的処世訓の通俗道話こそが彼の絶望に拍車をかける。わかるぞシンジ。俺にはお前の絶望がよくわかる。なんもかんも嫌になるその気持ち、なんもやる気にならないその境地よくわかる。その共感は彼の重篤なディプレッションを寸前で押しとどめる。ひとりではないことの確証を彼は得たからである。

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