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「アメイジング・スパイダーマン」

 金曜ロードショー140425の録画をいま頃観た。 後半、建機労働者との連携など滾(たぎ)るものはあった。しかし前半があまりに誕生譚に割かれ過ぎている。糸やコスチュームがどうしてこうなったかのくどい説明、そのための描写。そこを全省きすれば疾走感ある映画になったろうに。

「映画大好きポンポさん」2021.

 教育テレビでやってくれたのの録画230204をいま頃観た。 初っ端(しょっぱな)から嫌な予感はしたのだがそれは全面的に当たってしまった。 ニューシネマパラダイスでシネフィル? 死んだ目? 必要条件と十分条件の初歩的な無理解じゃない? このとき学歴に言及があるのはたぶん偶然じゃない。作者は頭が悪いのだ。京アニ犯の目、輝いてました? 月朝の満員電車、みなさんの目、輝いてますか? 資質を認められて、っていうのは一見実力主義のようで結局異世界転生物なんだよね。なんか知らんがすべてコミュ障でキモオタに優しい世界。ポンポは無限に彼を甘やかしかわいい彼女まで調達するママである。これは撮影所を仮装した出口のない家庭内狂気だ。 結構な苦痛(アニメ。アニメ。アニメ臭い。すべてが)を我慢しながら観たが最後25分ほど余すところで「いやもうふざけんなよ頭おかしいんじゃねえの?」とさすがに視聴を中断してしまった。「中継してたのです!」じゃねえよクビだよてめえキチガイ。 頭おかしいシーンはさすがにここが頂点であとはクライマックスに向けて多少はまともになるかと思ったら。更に追加でこっちの頭殴りつけてくるのでもう唖然とした。ここまで状況好転してもらっといて入院? いやそれはしょうがないとして根性で復帰? 土下座?(編集しろよそんな暇あったら)んでなんで「わたしも一緒に! ここに座っています!」??? んですることが「えーここ切っちゃうのー?」。なんで邪魔してんねん。んでディリートボタンに手を添えてって。 クライマックスというより「終盤25分間にどんだけ要らんシーケンス詰め込めるかチャレンジ」。そこで切れ切れ言ってるくせに。だいたいなんで新人監督に編集までさす? どうしても必要だったんですいう撮り直しがベタもベタな「家庭か仕事か」。はあ?(んで結局切っちゃうんでしょ? 切れ!って) ジン君と発音されること多かったことが示すようにこれ日本なんだよねどう見たって。彼は仁なんでしょGeneじゃなくて。差し入れの箱はコージーコーナーだし。マエストロ興行師に土下座してるし。 柳下さんが研究観察中のご当地映画そのものなんだよこれ。都会で夢破れ帰郷した若者がふるさとの暖かさに触れ人間性を回復していく、ってプロットそのまんま。ポンポは栃木の土建屋のボンボン、ぼんくら三人組は幼馴染。仁はアニオタ、夏子は声優志望の引き
 
甘い。ハズレ。  

三体0【ゼロ】 球状閃電

 面白かった。 ゼロとか言っちゃってっけど三体とは関係ないわけだし三体ほど面白いはずがないでしょ? でもまあ消化試合として読んどくかくらいの不遜な気持ちで読み始めたらこれが素晴らしく良かった。 三体とほぼ関係ない話とはいえ構成なり要素なり包含する人間観、思想には三体と重なる部分が多くある。球。三次元拡張した点粒子。目。視線。観測。殺らなければ殺られる。殺られる前に殺れ。傲慢なファッショ軍人。 「神様の介護係」は三体三部作を短篇に凝縮して語り切った(そんなことが可能なのか? 天才劉慈欣には可能なのである)超傑作であったが、本作もまた分量内容共に引けを取らぬ傑作であったのは間違いない。 身辺に手榴弾やらナイフやらチャラつかせて相手の反応を見る、臆病を笑う、マウントを取るヤンキー並みの下品な振る舞いから林雲という女は初手から印象が悪かったがまさに彼女がクライマックスでクローズアップされる。メンヘラですよと。トマスウェイドの女版という趣があるが、これは答え合わせにもなっている。なぜ彼があんななのかということは謎のまま死神永生は終わるが、ここに林雲の人生という形で回答が(長回しにも見える濃密さで)語られている。 頁が尽きたとき疑問に思ったのは「え? 父の描いた塔の謎は語られないまま終わるの?」。政府の極秘プロジェクトに関わりながら息子にはそれを秘してきた両親、それがあのとき避けられぬ死を覚悟して息子に語るべきすべてを語った(そして予想通りに殺された)その種明かし、全貌が語られるものかと予想していたのだが、青い薔薇で終わってしまった。 地下坑道の雷球実験から演繹されるSETI結論も思考実験として面白かった。観測者ゼロ環境において確率雲が出現せず一点に収束した。それはつまり観測者(人類以外の)がいるからだ、という形の地球外生命体存在立証。これ、再現性が実際にあるのでは?

「グリーン・ゾーン」Green Zone, 2006.

 午後ロー220918の録画。 「君らはあいつらと違って米国の良心的部分かもしれない。しかしそれがなんだ。この国を決めるのは俺たちだ。そうだろ?」そういうことを仮託した人物であることはわかる。だが「大局を見通せない近視眼的直情的、愚かなイラク一般大衆その代表」とこちらには見えてしまう。フレディーよ、そんなことしてなんになる? ミラー隊長の努力すべてが水の泡。徒労感。 ペンは剣よりも強くなければならないのにそうでないので彼は剣をとる手でペンを走らせた。最後まで諦めず食い下がったミラーの頑張りは良かった(それだけにやはりフレディーが馬鹿過ぎ。お前なにがしたかった?)。映画化しにくい素材(ノンフィクション)をうまいこと疾走感あるドラマに仕立てたグリーングラス監督の手腕は称えたい。俺はファンなのだ。 でっち上げならそもそもイラク軍人の協力も口封じも必要ない気がするんだがどうもそこらへんはよくわからなかった。

「ダーティハリー5」The Dead Pool, 1988.

 午後ローの録画230803をいま頃観た。 後半のラジコンでよおやっと気付いた。俺これテレビで複数回観てるわ。 つまり記憶に残るほどの印象が前半にないからだろう。リポーターといい仲になる過程が結構タルい(イーストウッドが実際女をコマすやり口のリアリティーがあってそれで余計に気持ち悪い)。 「こんなキチガイいねえよ」といままでだったら一笑に付していたクライマックスだが俺たちはもう京アニ放火犯(これは俺の脚本だ! アイディアを盗みやがった!)を知っている。時代と狂気を正確に先取していたのだ。 でもさあ、改めて思う。ラジコンが追っつけるわけねえじゃんw

「ホステージ」Hostage, 2005.

 午後ロー221108の録画を観た。 「え、あのひと(重傷)小屋に置いてっちゃうの!?」って思った。んで車運転して帰るんだ(重傷)。 おそらくは政府中枢のあれだろうに大丈夫? まだ危険なんじゃない? 巨悪を滅ぼすとこまでやんないと、とか思ったけど、拡げた風呂敷杜撰に回収する過程で大抵の映画は下手打ってるんでこういう投げっぱなしがむしろいいのかもとも思った。 え、この八方塞がりを打開できんの? って緊張感が最後まで持続する演出は見せるものがあった。監督フローランエミリオシリ(知らない)。 ロン毛のキチガイをプロファイリングして「あーやばいわこいついっちゃんやばい奴やわ」て交渉人ふたり顔を見合わすとこもよかった。ダイハードフォロワーの凡庸な演出だとたいていこのふたりを対立関係に置く。それをせず普通に良好な関係で共に有能なのがよかった。

「ワールド・ウォーZ」World War Z, 2013.

 金曜ロードショーの録画160219をいま頃観た。 いろいろとひどい。 就中(なかんずく)中盤のイスラエルは映画の出来不出来以前にポリティカリーにひど過ぎて(インコレクト)話にならない。壁を築いたが助けを求める難民はすべて受け入れているお優しいイスラエル国家。その優しさに甘えて浮かれて踊り出すアラブの野蛮人。そのせいで崩壊する壁。すべてが現実のイスラエルと真逆であり「イスラエルを翼賛しアラブ人を侮蔑する」偏向甚だしい描写になっている。この一事をもって映画を全否定していいくらいにひどい。 しかし最後まで我慢して(耐えきれず何度も離脱しかけた)観て思う。格別政治的にイスラエル寄りだからとかそういうことではなく、単純に頭が悪いのだ。偏差値が低過ぎるのだ。「パレスチナ紛争なにそれおいしいの?」だろう。 頭からしっぽまで主人公とその家族のために世界が回っている。なんであそこで手榴弾? バカふたり無理無理乗り込んだおかげでみんな巻き添え。 なぜ車使わない? 行きも帰りも? バカじゃねーの? カテゴライズすればこれも家系でしょう。感情移入しやすくするための常道? 馬鹿言ってんじゃねーよ俺は逆に死ね、全員死ねと思ったよ!

「運び屋」The Mule, 2018.

 午後ローの録画221118をいま頃観た。とてもよかった。 プロット的にグラントリノとほぼ一緒だが俺はむしろこっちの方がわかりやすい分好もしく感じた。 主人公アールはインターネットが嫌いなお爺ちゃんだしインターネットのせいで仕事を失ったのだが、その彼を駆動するエンジンが実はネットに蔓延する「承認欲求」そのものであるのがうまい。メールひとつ打てないのにやっていることはネット民と同じ。称賛を得るため彼はヤクの運び屋と知りながら抜けることができなくなる。 ワル1号もワル2号も恫喝を任されたチンピラなのに結局はアールの人柄に触れ感化され心服する側に回る。アールが善人だから、ということももちろんあるがここで彼の軍歴をネグるわけにはいかないだろう。つまりヤクの密売をシノギにワルぶってる連中など実戦、本物の殺し合いを生き延びた者からすれば幼稚園児なのだ。格別威嚇も自慢話も必要ない。格は自ずから出るし脅迫も児戯に等しい(わざわざ招待されたのも肝の座りっぷりを見抜く目が親分格には備わっていたということだ)。 しかしなによりよかったのは山田康雄の吹き替え。そうか最近のもやってるのか山田康雄これが遺作かなとか思いながら観てたら……なんと吹き替えは多田野曜平というひと。完全に山田康雄。完コピ。声がそっくりにとどまらず声優として上手い。そうかこういうひとがいるのか。知らなかった。 多田野氏で スペースカウボーイを ぜひ新録して欲しい。あるべき吹き替えはイーストウッド山田康雄、トミーリージョーンズ小林清志でしょどう考えたって(しかしそうすると二代目小林清志師匠も必要になる)。

「プレデターズ」Predators, 2010.

 金曜ロードショー180921の録画をいま頃観た。 導入部のもたつき(宇宙人に召喚されたことを全員理解する過程が不自然。下手)で「低予算B級だな」と早々に見限ってあとは惰性で観ていたのだが後半はなかなかよかった。彼は医者を自称したがそれを信じなければならない必要はなるほどひとつもなかった。その後の行動ひとつひとつが注意深い観客に対するサインだし凶悪犯罪者の存在もまた彼のシャドウ、同類を示唆するものだった。ここにいるのは殺人のプロだけ。脚本としてうまくできている。 ひとりひとりの目の動きまでチェックしていた主人公は当然どこかの時点で正体を見破っていたと見るべきだろう。負傷した彼に対する極端な冷たさの理由である。

「その女諜報員 アレックス」Momentum, 2015.

午後ロー220914の録画をいま頃観た。  オリガキュリレンコは美しかった、どの瞬間も美しかったけどそれだけの映画だった。 2015年作品というのが信じらんない。いま時の映画でこのレベル? さすがに通用しないだろう古臭過ぎて。 「戦いはこれからだ」みたいな終わり方だったけどこの出来で続きが撮れると自信たっぷりに思ってる態度に目を見張った。作り手の自己評価が高過ぎる。 「我々はある陰謀を企んでいる」て本人がそういう言い方しないだろう。潜入行動中に携帯の着信受けるなよ。等、いろいろ不備が目立つ。 「この場面まだ引っ張る? もう飽きたんだけど」言いたくなったのが複数回。映画うまくない男(お)が撮ったと見た。 続編は当然なさげ。ねえだろ。

「ホームレスが中学生」2008.

  アマプラで観た 。 とても良かった。「悦楽交差点」と併せてもう完全に城定監督のファンになってしまった。ファンというか、「このひとは絶対ハズレがない」という信頼感。 たぶん全力では作っていない。でもその余裕が逆に頼もしい。無理をしない、出力70パーだからこそできる境地がある。 内容的に自叙伝風味が強い。そして映画愛。庵野劇場に飽いた君(俺)、これだよ。これこそが監督の私小説だよ。私小説作家だよ。 望月美寿々演ずる映研女子若松美咲が素晴らしくかわいいのもヨシ。ほんとに見惚れてしまった。ほのかな恋の描写もよい。 この設定だと終盤まで陰惨ないじめが続くのかな、観るのがつらいなと予期したらそこらへんは序盤でさらっと済ましてしまう。気持ちいいしうまい。須崎くん、あっという間に馴染んでクラスの人気者(どころかモテモテ)。予定調和的展開は脚本段階でカット。わかってるひとだ。 ドキュメンタリー、ことに浮浪者を素材にしたそれ、が持ちかねない欺瞞に翔太が気づく展開もよい。なんと彼はそれを「俺もなる」という投機によってアウフヘーベンするのだ。このタイトルからしてふざけたような作品が実は秘めている真面目な先進性、卓越を示すものだ。 2008年にして2021年の事件を予見している。思想的に遥かに凌駕している。河瀬直美は城定監督の前に跪拝せよ。お前には百年経っても撮れない作品だ。 「ホームレスって。家あんじゃん」。セリフのひとつひとつが面白いのも城定作品の魅力。いちいち吹き出して笑ってしまう。 完成映画の締めで美咲が結構ひどいことを依然明るく言ってるのがまたよかった。「少しわかりました!」少しかよ!

「悦楽交差点」2015.

  アマプラで観た 。 大傑作。柳下氏が城定監督を激賞するその理由がよくわかった。 深夜アニメやそういう系統の漫画に触れるにつけ「なぜ美少年に自身を仮託するのか」「なぜ異世界で天下取ることばっか夢見てんのか」「バカで駄目で気持ち悪い自分をありのままに見つめ描いたらこれ傑作になるのに」と思うことが多かった。寡聞にしてそれを実行している作家が既に存在していることを知らなかった。本作がまさにそれだ。 一片の自己欺瞞も美化も言い訳もない。等身大の貧乏で馬鹿なモテない男(しかもストーカー)がここに描かれている。それを観た俺たちの胸に湧き上がるこの感情はなんだ? 鏡を見るよう強いられた嫌悪感でも怒りでもない。「これだよ! これが観たかったんだ! これは俺だ! ここに俺がいる!」 自分を正確に理解してくれる友(作品)が現れたとき、生ずる感情は喜びに決まっている。 異常にテンポがよい。無駄がない。①低予算、②たいてい2日とかそんくらいで撮る、③尺、70分。これら一般に不利な条件が鬼才城定マジックによって「言いたいこと、描きたいことだけ撮る。余計なものは入れない。そんな暇もない」簡潔な叙述に昇華しているのだろうと思料する。 宗教パンフが重要な役を果たしているのだが、そもそもの発端が「一千人目が俺の嫁」。理由なき戒律を自身に課しているセルフ宗教行為から彼の狂気は始まっている。 濡れ場は格別要らんなあと思ったくらいにストーリー、キャラクター描写そのものが面白い。彼の一挙手一投足がすべて魅力的(バカ過ぎて愛らしい。治験!)だし彼女の本音(「これは収入のいい仕事なんだよォ!」)も結婚の本質を喝破している。安価な売春婦はだから暗示比喩伏線なのだ。

「ベイビー・ブローカー」브로커 Broker, 2022.

  アマプラで 観た。 ペドゥナの美しさに最後まで見惚れてしまった。いやー、目を見張る美人だ。 映画はというと、んー、疑似家族への移行が早過ぎ、ペドゥナ刑事のほだされも早過ぎで「やっぱ韓国映画。情が篤(あつ)い」と思った。いや、ハッピーエンドは好きだからそれはそれでよいのだけれど、早過ぎだよ、ということ。ペドゥナ刑事は最後まで冷酷冷徹を押し通して欲しかった。それと情のある粋な計らいは両立するでしょ? 連邦保安官ジェラードのように。 ソヨンが授乳しないのは実は母親じゃないから、みたいなことかと思ったらそういうことでもなくてそのまま終わってしまった。謎だ! ソンガンホはなに、最後ヤクザ殺したの? んで捕まったの? それともこれからずっとお尋ね者? 違う? ヒッチハイクしてたガキはサッカー少年? それを拾ったタクシーはなに? ちょっとラストいろいろわかんないまま終わった。でももいちど全部観ようってほどの熱意はわかない。

「ミッドサマー」Midsommar, 2019.

  アマプラで 観た。 残虐描写の噂は容赦なく漏れ伝わってきていたからびくびくしながら観た。ラスト彼が熊と並べられるところで「わー始まる、熊にしてるのとおんなじことされる」とか目を覆ったらそれはさすがになかったので助かった。 村の奇習を取り除くとつまりこれ青春群像あるある劇になる(青春真っ盛り=ミッドサマー)。冷めた恋。裏切り。友情の亀裂。将来への不安。功名。嫉妬。だからストーリーラインとしてはありきたりなんだけど村祭りの具体的描写が凄いので持ってかれてしまう。 俺の目からすると彼女は彼女の自己分析通りに依頼心の強いめんどくさい女だ。これは確かに別れたくなる。俺は彼の方に共感したな。逃げたくてたまらないのに更にめんどくさい大事件が起きて「ここで逃げたらみんなから人非人の烙印を押される」という窮境。そりゃ気晴らしに旅行にも行きたくなるさ友達同士。ところがそこについてくるという。「まじかよ」「ガキか」当然みんな困惑。 「迷惑だったらわたしは行かない」「いやいやいやそんなことないうれしいよ」。そりゃみんなそう言わざるを得ない。まさに空気読めよ案件。もうなにからなにまで逃げたくなる女ナンバーワン。だから結末はどうにも彼がかわいそうだ。不実の報い? 彼は向精神薬にも性交勧奨にも抵抗していた。 もっかい観ないと詳細にめぐらされた仕掛けがわかんないけどペレはつまり最初から生贄引き入れ目的に他人と友誼を結んでいたということ? ダニーの参加は偶然にしか見えないが。 伝承ノートに真理を描き込む不具異形の者は近親交配で意図的に作っているという。ナチと真逆に見えて実は一緒の優生思想である。遺伝(へレディティー)の人為的コントロール。北欧神話を信じる北欧のど田舎が舞台であることには理由がある。 追記: ペレの発言、ダニーへのボディータッチやらなにやらをつらつら思い返すに家族の不幸含めて全部計画通りだったのだろう。もちろん複数名の別働隊(自殺、無理心中に見せかけて三人を殺した)もアメリカに潜入していたのだろう。妹の情緒不安定すら彼らの操作によるものだったとしてもおかしくない。そこまでやりかねない狂気のカルト。

「ヘレディタリー/継承」Hereditary, 2018.

  アマプラの吹き替え でいま頃観た。 込められた寓意とか象徴的意味とか全っ然わかんなかったけどまあ気持ち悪かった(褒めてます)。終盤ピーターの後ろ、壁を歩くように浮遊する母親がまあキモいキモい(褒めてる)。そして意味不明の戴冠式。キリスト像が堂々出てくるからキリスト教なんだろうけど地獄とか言ってるしあんまふつーのキリスト信仰ではなさそうだ。 画面に出していいのってくらい不細工なチャーリー。なのに異常に胸だけは発達してるのが余計に不憫。 それが序盤早々にあんなことなって(道中の電信柱に一瞬映るあの紋章!)からのピーターの帰宅行動が異常だけど「まあわかるわな」という。しでかしたことのでかさで申告すらできない。まっすぐベッドに潜り込んで現実から逃避一択。わかる。しかし容赦なく聞こえてくる母親の悲鳴。 親切な婦人の正体がわかるシーケンスも「新興宗教に関わってえらい目に遭う、いやそれ以上の災難」な展開で凄い。発掘される婆ちゃんとカルトの関わり。あのバスタブかなんか入れられて金貨かなんか浴びてる写真が壮絶カルト、超絶気持ち悪い(褒めてます)。 しかもこのカルト、いんちきじゃなくほんとに異界と、超自然とつながってるので余計にたちが悪い。

「ブレット・トレイン」Bullet Train, 2022.

  アマプラの配信 で観た。 クソ女をちゃんとぶっ殺してくれたのでよかった。最も憎たらしい奴をなぜかもてはやして次回につなぐ、的な扱いの作品はままあるので、そうならなくてヨシ! 誰だよこのブスとか思ったらサンドラブロックでこれつまりメイクがひどい。上述の娘が異様に不細工(つかリアルサンダーバードか! 作り物人間みたいで気持ち悪い)なのもたぶんそれのせいだろう。 殺し屋兄弟のどーでもいー話が長くてウザくて放棄しかけたけどトーマス云々はそれが物語上のエレメントで必要だったし、なんにせよ真田広之の大フィーチャー(主役と言ってよい)! 座頭市ばりの剣戟に大興奮ですよ。米原だかどっかで乗り込むとこからカッコイイ。このフィルムにはレジェンド真田広之に対するリスペクトが十全に感じられる。放棄せず最後までちゃんと観てよかった。 クライマックスで流れるヒーローもグッド。クソダサい選曲が爆笑、興奮に相転移する愉悦、マジック。

「シン・仮面ライダー」2023.

 今日から アマプラで公開 。観た。 んー。 ネルフ本部。人類補完計画。家族。鉄道。貨物。操車場。宇部。式日。風呂。弾ける綾波。シンゴジ。シンウル。 豊富な参照。まあそういうのは俺は観てて楽しいです。楽しいけど、んー。 もっとやれたでしょ!? 感が。割とみなそうだったんじゃないかな。俺はそう思った。え、庵野さん、こんなもん? 予算ですかねえ、結局。予算内ではまあこんなもんかと。 観ながら忖度というか補完しまくりだったねなんか。俺はグラボか。リアルタイムレイトレーシングか。 例えばこんな会話が欲しかった。「必要な資材、武器、食料、人員、生活費行動費は可能な限り調達する。なんでも遠慮なく言ってくれ。我々日本政府は君らを全面的にサポートする」 「なんでそんなによくしてくれるんです」 「ショッカーと戦える軍事力、暴力装置が現状他にないからだ。我々には選択肢がない。君らが負ければ人類は滅びる。だから君らに賭けるしかない。政府として持てるリソースすべてを君らに注ぎ込むのはつまり我々人類のエゴイズムだ。君らは命を賭けている。感謝は不要、当然の対価として受け取って欲しい」 で、シャワー付きのキャンピングカーどころかアジトとして不自由のない居宅を用意する。それが当然でしょ? なのになんで野宿(ターフすらない!)とか田舎の集会所とか? 風呂も入らず着替えだけで済ますふたり。悪臭が伝わってくるようで話に集中できねえよ(これも庵野氏の作家性だよね。シンゴジでもシンウルでもやってた。なんだ、風呂入らないフェチ?)。 綾波だったらあんなすっぽりお着替えせず堂々平然と脱ぎだすよね。綾波が急にアスカになる。式日(しきじつ)のセルフオマージュなのでヒロインの二重人格はしょうがない。 女を描くのが下手なのかなあ? とも思う。いや、単に「俺の好みじゃねえ」ってことなのかもしれないけれども。 不世出のキャラクター綾波レイはつまりそういうことなのだ。ボロが出るから、喋らせないようにした。黙ってりゃ男の方で誤解して勝手に謎美女にしてくれるから。今回実写版綾波レイ然として出てきた浜辺美波が見事にそこらへんの構造を暴いてしまった感じだ。口を開いたらアスカ。ぎゃあぎゃあぴーぴー、結構つまんねえ女だ。 シンエヴァも本作もそうなんだけど、やたら家族家族、家族愛、親、ちちははの愛みたいのにこだわりまくるのは生育において欠

「AIR/エア」Air, 2023.

 アマプラで観た https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0B8TKFW4D/ref=atv_dp_share_cu_r 。 ビヴァリーヒルズコップもサントラのモチーフに使用されてて嬉しかった。 「ああ駄目だ、全然訴求してない」とアイコンタクトが飛び交いビデオを止めソニーが捨て身の演説をぶつ流れはアルゴのクライマックスにも通じるし、また前半で語られていた「草稿になかった演説」でもある。聴衆に訴求していないことに気づいたキング牧師と同じ行動。 ラスト社長がスウォッシュ35ドルなど語る件りはあからさまに蘊蓄(うんちく)披露(社員ならとっくに知ってる基礎知識だろう)だったがこれもベンアフの作家性、資料収集とその開陳に傾ける情熱の現れであろう。「勉強になるなあ」とナイキ無学なこちらは感心しきりだ。
 

「カラーパープル」The Color Purple, 1985.

BSプレミアム171215の録画をいま頃観た。ようやっと観た。 二時間半ある。努めてコミカルに語ろうとしているが内容はどう考えたって不愉快極まりない残酷の連続である。黒人であり女性であることの不遇。とてもじゃないが通して観ること能(あた)わなかった。毎日概ね10分ずつ観てようやく消化した(悲惨を糖衣でまぶして飲みやすくしようとした、その演出のせいで逆に見るに堪えなくなっている疑いもある。脳が戸惑うのだ)。 最後の三十分でようやくスピルバーグ節、やられてばかりの主人公が反転攻勢に出る流れは最後まで通して見れた。 父に犯され子供を二人も産まされる衝撃の出だしが終盤でなんとか穏当な形で回収されるのが救いである。それがなかったら完全に根本敬ワールドだ。 横暴亭主と市長の妻をぶっ殺す件りがなかったのは画竜点睛を欠くが勿論それをやったらアカデミー賞は獲れない。いや、獲れなかったんだけど。 最も重要なエレメントである手紙の処理が雑に感じた。これは監督ではなく原作小説に起因する瑕疵だろうが。生活全般がだらしなく無能なアルバートが嫁いびりにだけ異常な丁寧さ有能さを発揮できるものなのか? 音信不通であれば妹は早期に別の方策を採るものではないのか? 終盤がやや駆け足に小説のダイジェストっぽくなっているのが小説を読んでない俺にも感じられた。シャグと牧師の和解がセリーの物語に闖入(ちんにゅう)しているようなバランスの悪さ。「え? なんの話?」っていう(急にミュージカルが始まるので戸惑うが、ウエストサイドストーリーを後年手掛けるその嚆矢となっている)。 大好きなレイドーンチョン(コマンドー)出演がうれしい。
 
 

「SAFE/セイフ」SAFE, 2012.

 午後ローの録画181218をいま頃観た。 導入部の設定が荒唐無稽に過ぎてあーまた漫画映画かとうんざりしかけたがそこはさすがステイサム映画。結局彼の肉体、肉弾戦が設定だストーリーだを凌駕、無化してしまうのだ。ステイサムの映画はステイサムを見る映画だ。 ブルースリー存命なりせばといつだってひとは思うがいやここにいるじゃないかと。彼の意志を継いだ彼の後継者がこうしてブルースリー存命なりせば見れたであろう傑作を目指して毎年のように作品を生み出し続けている。 「五歳児ちゃうでおっちゃん」が見事な伏線になってた。修羅場を無理矢理見せられたことは彼女を深く傷つけただけで終わらなかった。鋼の心を鍛え上げたのだ。ただ守られるだけのひ弱な子役というクリシェをぶち壊す結末が素晴らしかった。 吹き替え、子供をあてがうとか余計なことしなかったのがまた良い。その努力で大惨事になった大友克洋とか大友克洋とか大友克洋とかを知ってる。声優を職業としているひとの力量をなめないで欲しい。 「とびっきりの上物」を汚職デカどもの前で悠然と頬張るところがまた楽しかった。
 
 

「コーダ あいのうた」CODA, 2021.

 先週金曜ロードショーでやったのの録画を観た。 なんか演出がなーと思うところが多かった(「また着替えずにそのまま!」っていう服が漁撈でちっとも汚れてない、臭そうに見えない、そういう作り込みの甘さとか)がやはり合唱会で音が消失するところは良かった。 震え上がったのはあの場面だね。赤いドレス。子供が言うことを聞いてくれた、屈従してくれた、家のために我を折ってくれた、奴隷になってくれた、そのご褒美として与えられるあのお仕着せの服。結構な毒親表現を見せてくれた。 ヤングケアラーの話だ。 あれと反対の結末の映画を想像してみよう。そう。それは自民党、日本会議、神道なんたら連盟、統一教会、世界平和統一家庭連合の夢だ。家族万歳、個人の意志は夢は希望は人生は連綿と家庭の前に犠牲にならなければならない。それは美しい孝行、孝養の姿だと褒め称えるイデオロギー。彼らは人類の敵だと言わざるを得ない。 考えさせる映画である。紛れもなく毒親であるあの父母もまた生来の犠牲者なのだ。この問題を家族の内部でのみ考える、考えさせるのがまさに宗教右派の家族イデオロギーだ。どうしたって外部の、社会の、理解と助けが必要だ。それをこの家族は社会に要求していいし社会はその叫びに耳を傾けなければならない。 ぬるい恋愛描写は不要かなと思った。省くと尺が短くなるが映画のテーマと完成度は高まると思った。 「まああれですよ、あんまり、聾唖者だからっていいひとじゃない、っていうところがね」 ブラックホールで柳下さんが放ったひとこと。この映画の良さを凝縮した至言である。
 
 「桐島、部活やめるってよ」。BSプレミアムの録画160329をいま頃観た。 森田公一の「青春時代」、の映画化と言える。ヒリヒリとする、二度と戻りたくない時代。 早川義夫の「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」の映画化でもある。 もちろん映画部の前田くんたちを全力応援で観た。前田くん、君たちだけが正しい。 「戦おう。ここが俺達の世界だ。俺たちはこの世界で生きていかなければならないのだ」 映画という虚構に逃げを打った彼らが、それでもこれを言わなければならない。スクールカーストの勝者たちに嗤われ怒鳴られ踏みにじられながら、それでも彼らは散らばった機材を拾い再び撮影に戻る。ああ、夕日が沈んで行く。マジックタイムが終わる。 現実と闘わなければ、この光をフィルムに定着させることすらできないのだ。 だから最も能く闘った者は前田であり、その威厳の前に菊池は跪拝せざるを得ない。ひとの8ミリを無造作に奪い取り「どうですか? 将来は映画監督ですか? 女優と結婚ですか?」とニヤニヤ小馬鹿にする菊池は、ファインダーの中の「格下」が真の勇者、勝者、主人公であることに気づく。気付かされる。「いいよ。俺は」。からっぽの惨めな自分に気づき涙があふれる。やっぱかっこいいね、などと言われれば、よけいに。 桐島の存在にまったく無関心な人物が三人いる。前田。吹部の部長。野球部キャプテン。いちばん尊いのは全力の努力。努力を傾けるに値する何物かを見つけることができた者。照明の下練習を続ける野球部を菊池が見下ろすところで映画は終わる。
 
 

「漁港の肉子ちゃん」2021.

230103、教育テレビでやったやつの録画をいま頃観た。 いやこれ大傑作だ。 背景美術の狂的なクオリティーに目を奪われていたら作品の凄さはそれにとどまらない。 境界知能。トゥレット障害。本人たちにも理由がわからない、クラスで自生する集団力学。売買春。月経。見えているのに見えないふりをしてきたものが次々に可視化されていく。 一人称の独白。これは純文学の文体、そのアニメ化だ。動画の中で文学が文学としてしっかり息づいている。その試みが見事に成功した初の例ではないか。もちろん西加奈子の原作がまず素晴らしいものであるのだろうが。 動物の声が聞こえるのはどういう意味を持つのだろうと思っていたらなんとそれはきくりん自身のつぶやきだった。乖離、の語が正しいかわからないが、流浪と貧困、過酷な現実から心を守るために編み出した彼女なりの防衛反応なのだろう。 美しい肢体を持つ絶世の美少女きくりんに対し二宮がまた素晴らしい美少年。そして思春期の二人が惹かれ合っているのはそれ以上の理由からである。ふたりとも周囲の普通から規格が外れている。そのことを互いに語り合える、わかりあえることの喜び。 抱えていた思いを全部吐き出したとききくりんは自分の醜さに気づき涙をこぼす。そのきくりんの姿は醜くない。醜さを自覚できる魂は醜くない。 監督は渡辺歩氏。フィルモグラフィーを見るに目を引くものは過去作にないがそれは俺がどらえもんを全く観てないからだろう。 アマプラ リンク
 マンダロリアン第一シーズン全8話を配信で観た。 最終話は殊に気合いが入ってたね。まさかのワイルドバンチ、地下水道。絶対見せないかと思ってたら案外簡単に顔見せたのも逆によかった。 「冗談だ。緊張をほぐすためにわざと言った」。あれほど毛嫌いしていたドロイドの覚悟に声を震わせるマンドー。侠気(おとこぎ)を見せるロボガンマン。 モフギデオン(ターキンの係累? 時系列的にいつ?)。ワルはワルでも格上のワル、余裕あるその凄みを役者さんが能(よ)く好演してた。やはり古武術の遣い手であったかと。 女剣士、絶対オーディションは「志穂美悦子似で」選んだとみた。子連れ狼含めあそこらへんのチャンバラが大好きなのだ。ファブローも、他のひとも。第四話は七人の侍だし。 第五話には北国の帝王を感じたね。「小僧、結局やさしさがなければ駄目なんだ!」と。 宣材スチルでしか見たことないあの「オオトカゲに乗った帝国軍兵士」の再現がガチファンムービーの情熱丸出しでよかったね。これをマンドーにやらすための第二話のさかなクン乗馬訓練だったわけね。 「有無は言わせん」おじさんかわいそうだったね。気が進まないのにマンドーに圧しきられて参加させられて。コムリンクで要らん指示しちゃったせいで傍受されてああいう羽目になっちゃったし(あれがなければおじさんは無事に船に辿り着けてた)。 スピーダーの二人組がグダグダなどーでもいい会話するとこはなんかすごくよかった。頭の悪い下級兵士感があってよかった。
 シーハルク第一シーズン全九話を配信で観た。 第九話冒頭の出来があまりに良いので、このフォーマットでまるまる一話くらい作って欲しいところ。旧TVシリーズの劇伴をそのまま使用して。 もちろん本作の新しさも悪くはない。正体ははじめっから割れてるというトニースターク(ロバートダウニー)が切り拓いたMCUの伝統。だからジェニファーウォルターズは放浪の旅に出る必要も低賃金労働に就く必要もない。 だがブルースバナーを見舞ったそれとは違えども彼女もまた試練と戦うヒーローもといヒロインだ。判然としないもやもやした敵だが終盤それは彼女を妬み憎むインセルボーイズの集会として明確な姿を現す。 毎回を締める水彩画がとてもよい。
 
 シャンチーを配信で観た。 ベネディクトウォン及びマー・ヴェル、バナー博士のいるシーンだけ良かった。そこだけが輝いていた。あとはもう。 話がおかしい。特にここがおかしい、と指摘する労すら厭わしい。全篇おかしい。おかし過ぎて退屈。真面目に観る気にならないのだ。真面目に観たらバカを見るから。 父ちゃん手紙なり口頭なりで言えばいいじゃん。母ちゃんに会いたいんでちょっとそのネックレス貸してくれて。無言でもぎ取ってく必要全くなし。 反省したこともある。映画にはなぜ美男美女しか出ないのか! そんなのおかしいじゃないか! 俺たちの現実と地続きの、普通の顔をした俳優をもっと見たい! なんて考えをかねてより持っていた私でございますが。 わたしが悪うございました。 俺の希望通りのキャスティングと言ってもよい映画がこうして現実にあらわれると……いやまあなんとも華がない。 兄妹、カップル、共に不細工! まあ普通の顔ですよ。それを二時間以上見せられるのがこんなにキツイとは思わなかった。 映画というのはやっぱハレ、非日常なわけで。そこにあって欲しいのはやはりそこそこの美男美女であったと。 俺はどうもいろいろ真摯に反省しなければならないようだ。
  ファルコン&ウィンターソルジャーを配信で観た。 最終回がとても良かった。 キャプテンアメリカとして覚悟を決めての堂々の活躍。テレビ中継もされる胸を打つ演説。そして彼、イザイアブラッドレイの名誉回復。これが今回いちばんの功績だ。記念館に彼を誘(いざな)うシーケンスは感動的。 白人のために作られた血塗られた帝国が合衆国なのであれば、俺たちはそれを簒奪し、俺たちの理想に沿って作り変えればいいではないか。それこそがまさにスティーブロジャーズが信じ、そのために戦ったアメリカだ。彼の盾を受け継ぐ意味だ。 しかしそこに至るまでの五話があまり華がないというか。毎回胸のすく活躍、という連続活劇にはなっていなかったので観続けるのに多少骨が折れた(だからこそ最終回が光ったのでもあるが)。 エージェントカーターが裏街道を歩き続けるのもなんだか。あのまま素直に名誉回復、めでたしめでたしでよかったんじゃないか。パワーブローカーいう裏社会になぜそこまで執心、義理立てするのか。 それはつまりスティーブロジャースと別れたことが関係しているのだろうか。それは今回まったく言及されていないよね。他のMCU作品で既に語られているのだろうか。 世界の半分が戻ってきてしまったことで問題が発生すると言う筋立てもどうなのか。それではまるでエンドゲームの、アヴェンジャーズの努力が余計なことだったみたいになってしまうじゃないか。 今回あの国浮き男が出ていることにも象徴的であるが、戦闘における巻き添え被害とか、そういうのをリアルに入れ込むとスーパーヒーローものは成り立たないでしょう。そこら辺はお約束としてあえて触れない、被害は出てないよ奇跡的に的な処理で良いのではないか。 合衆国軍人として大活躍のファルコンが漁船を買い戻すカネもないと言うのはちょっと解せない。どう考えても危険手当出てるでしょサムには。銀行に頭下げるまでもない。あそこら辺のファミリーエピソードは今回必要だったのだろうか。ちょっと盛り込みすぎだったのではないかと思う。 演説はマーヴェルファン、キャップファンに向けたそれでもあった。君らの中にだって相当数いるんだろ? 俺が盾を持つことを面白く思わない者が。キャプテンアメリカは金髪碧眼で当たり前だろうと(新キャップはまさにそういう役)。黒人の俺はその敵意も込みで引き受けるんだ、この盾をと。フィクション
 
 ガンニバル配信を全話観た。 うー、面白かったのにー。あのラストはないじゃん! クリシェを全部潰してきといて最後あれですか。 あれじゃイタリア産安物ホラーのエンディングじゃん。 勝ってほしかったじゃん。かっぺどもに。 あの盗聴親父をタコ殴りして欲しかったのに。津山三十人殺しよろしく供花村の嘘つき村人一人残らず叩っ殺して欲しかったのに。 いいんですかあいつら勝たせて。よくないでしょ。 ラストのショックがデカ過ぎて文句たらたらだけど勿論そこに至るまでは面白くて仕方がなかった。 ジャンルで言うとヒルビリー物、横溝正史物(かっぺってのはほんとどうしようもねえよなあ、卑屈で野蛮で無学で嫉妬深くて凶暴でと遠慮会釈なく徹底的に馬鹿にする小説の形をとった復讐、批評文)になるのだろうが、そのクリシェをまず破っている。主人公は田舎の暴力にただただ圧倒される都会のひ弱な知識人ではない。 柳楽優弥くん演ずる駐在阿川大悟、見た目と中身と行動が完全一致。そこがいい。どヤンキーのリーサルウェポン。ジョンマクレーンを超えるニューヒーローの誕生だ。「なめんなよコラ」「めんどくせえなあ」「やんのかコラ」。素晴らしい。警官かくあれかしと逆に思ってしまう。 またましろちゃんがすばらしい。演技がうまいしなんといっても顔がいい。どういいんだ! と詰め寄られても「このましろちゃん役になるために存在するような顔だ」としか言いようのないずっぱまり。 ニュートラルな顔、とでも言えばいいのか。 第一話の睡眠時急速眼球運動からもう目が釘付けになったがこれはもちろん後に語られるあれの伏線だろう(どちらもCG使用だと思うが)。 孤立無援の戦いが続くかと思いきやあの疑わしい署長が実は特別チームを稼働させていた展開も良い。ルポライターの活躍、快哉も。やられてばかりじゃないぞ、こっから反撃だ! 国家機関も猛然と唸りを上げて総動員、キチガイ村を強襲という終盤の怒涛の流れ。であれば、素直にその流れでクライマックス、救出、大悟の勝利となってもよかったはずじゃないですか! トンネル襲撃とその撃退は中盤のクライマックス。修羅場に強い極めて優秀な戦闘能力の高い警官っぷりが余すところなく発揮された胸のすくバトル。 追記: 俺の勘違いで、どうやらシリーズは継続のようだ。そうだよね。でなければルポライターの快哉、屋上のチーム、八咫(やた)駅に降り立
 ソー、ラブアンドサンダー日本語配信を観た。面白かった。 戦いを窓から見ている子供たちが戦いの当事者になってしまう上手い導入部。つまりこれ子供向け映画なんだけどけして子供騙しではない。子供を見くびっていない子供向け。「みんな大丈夫心配ない、戦って死ねばヴァルハラに行けるんだ」「おじさんもう帰ってくんない」。こういうやりとりね。本気で作ってる子供映画は全年齢で爆笑できるのだ。 マッパのソーが着衣に戻った瞬間のあの姐ちゃんの「チッ!」もいいね。 ムジョルニアの力で奇跡が起きるガンが治る! みたいな安直をまさかやるのかと思ったらそれをしなかったのも偉い。衰弱する彼女をリアルに見せたことこそむしろ攻めの演出であろう。これこそが病者の闘いなのだ。戦って死んだ戦士はヴァルハラに行けたけど格別それを荘重、感動的に描いていないのもよい。ちょっとしたラッキー、程度の軽い描写。 今回のテーマスタイルはメタル。エンディングに至るまで手が込んでいた。 ワカンダフォーエバーでガックリきたけどこれで持ち直した。ディズニープラスマーヴェルマラソン続行中。
 
 ワカンダフォーエバー日本語配信を観た。 うー。退屈。 ティチャラ王子の喪失を見てるこちらも実感する羽目になった。 シュリには荷が重い。王女もブラックパンサーも主役も。演じてる彼女自身がそれを訴えているようにも見えた。 天才少女の役割が途中で見えなくなるのがもったいなかった。 ワカンダ軍団は劣勢だったのだから最後の和睦は「?」。 ブラックパンサーでアバターやられてもなー。水棲人類見てるのってすげえ退屈。 エターナルズよりはちゃんとエンタテインメント寄りに作ってあるにも関わらずこのつまらなさはなぜなんだろう? カーチェイスもどつきあいも滾るものがなかった。
 ブラックウィドウを日本語配信で観た。 エターナルズ効果はもう抜群で、あれ観たあとはもうなんでも面白く見えるわ。これもちゃんとMCU映画になってた。テンポが良くメリハリがある。 王道の007映画、クレヨンしんちゃん。家族の信頼と協力で敵を倒す。その敵がまた。近頃甘口の敵が多いとお嘆きの貴兄も満足させる淡麗辛口。実に憎ったらしいので観客全員でいいぞ! ぶっ殺せ! と応援できる仕上がり。 こういう花道をナターシャに手向けてくれたマーヴェルスタジオに心から感謝。 「あれ? ナターシャってプラハ動乱とか冷戦期から活躍してた、結構な歳のひとじゃなかったっけ?」と思ったんだけど、俺の勘違い? ウィンターソルジャーとかでそういう設定になってなかったっけ。 まあ、一作品ごとにユニヴァースだと思えばいいんだけどさ。ケンチャナヨ。
 
Doctor Strange in the Multiverse of Madness 配信日本語版観た。 うん、エターナルズのあとだからそりゃ面白いさ。「ああ、ちゃんとMCU映画だ」って。メリハリが効いてる。お話にもアクションにも。しかも巨匠サムライミだもの。面白くならないはずがない。 まあしかしワンダがかわいそうよね。インフィニティーウォーで男ォ失い本作では自死を選ばされ。踏んだり蹴ったり。スパイダーマン2の時もメリージェーンがピーターパーカーから理不尽ないじめを受けるが、なんかあんのか。女性に対する複雑な感情が。 子供をふたり持つワンダがなんか急にわざわざ研究所を襲うのはなにあれ、つまり玉座の黒ワンダに操られてたってこと? 白セーターの彼女はそんなことする必然、理由ないもんね。生活に満足してんだから。 ゾンビストレンジよかったね。グロテスクというよりもう茶目っ気たっぷりで。ダークマンを感じた。 ガクッと崩折れて第三の目が生えるのはよくわからなかった。最後の姐ちゃんも。まあなんかに続くんでしょう。 アメリカチャベスなるいかにも座りの悪いネイミングはまさにチャベス大統領からわざとあれしたんだろうね。同居するはずのない異世界を無理矢理に融合、行き来してしまう困ったアイデンティティーとして。 ウィキペ
 ディズニープラスに入った。990円(Paypal使えるのがうれしい)。一ヶ月試してみようと思う。といって、一ヶ月の間に観れるだけガツガツ観ようとするような観方はしたくない。無理のないペースでふつーに観ようと思う。 入った理由はマーベル作品が観たいから。ツタヤに卸してくれなくなったのだ。 円盤の販売はしてる。しかしいきなり買って駄目駄目だったらダメージでかいじゃないすか(映画館行けよ。いやまだまだコロナ怖いじゃないすか。つか映画館好かんのですよ。二時間座りっぱは体力要る。映画観に来てないキチガイも多いし)。 ということで早速エターナルズを観る。 うー。退屈。この内容で二時間半は無駄に長い。マーベル印と思えないつまらなさ。マドンソクの出る超人モノなんて期待度数爆上がりだったのでなおさら。 脚本、ストーリー的にはたぶんうまくできている。やたら辻褄合わせばかりの嘘くさい超人チーム、目的設定だと思ったらそれ自体がやはり作り物でした、彼らの肉体も精神も作り物でしたという展開はよくできてる。でもたぶん演出が壮絶に駄目駄目。その真実に触れた時の彼らのまあ驚愕のなさったら。「あー、そーなんだー」「まじすか」くらいの冷静な反応。 ギャグもふんだんに盛り込まれているんだけどそれがひとつとして笑いにつながらない。全部すべる。ここまでくるとそれが監督の才能? とすら思えてくる。 ボリウッド俳優兼監督の登場シーンは大笑いになるべきはずなのになぜか空気は冷え切ったまま。 主人公、せりなだっけ? 違ったセルシだ(セルジュセルジュ言ってるように聞こえた)。華がない。ブサイクとまでは言わないが、相棒だったらスーパーでレジ打ちしてる生活に疲れたシンママ役だろう。主人公の顔じゃない(アジア系なのは問題じゃない)。いや、そのハンデを帳消しにする突出した演技力があったかといえばそれもない。いやむしろこのひと相当下手(へた)なんじゃないか。表情があまりに乏しい。 男の方も同様。終盤ヴィランと分かるわけだけど、それにしてもメインキャストにこの顔はないだろう。 ミスキャストだったんじゃないすかねえ。クロエジャオという監督からして(映画へた子)。 やたら色気のある姐ちゃんだなあと思ったらエンドロールでやっと「ああジョリーか」と気付いた。お色気たっぷりでメンがヘラいてギリギリじゃないすかヤバイじゃないすか。一歩間違え

「ジャック・リーチャー NEVER GO BACK」Jack Reacher: Never Go Back, 2016.

 アマプラ リンク 午後ロー221117の録画をいま頃観た。 前作のテイスト(地味な進行、銃へのこだわり、スタイリッシュな映像)を引き継がずフツーのアクション映画にしたのがむしろ勝因、そんな感想を持った。クレヨンしんちゃんの面白さ。どえらい陰謀に巻き込まれたひろしとみさえが全力でひまとしんのすけを守る。 「今度はこっちからだ」。電話してるそばから登場、メールデータをぶん盗る場面がよかった。 え、なんでまたわざわざ旅に出るの? ってのが最大の疑問だがそこはほら。股旅物だから。「これでこの宿場も静かになるぜ」ってヤクザ皆殺しにしたあとはまた次の街へ。風来坊、渡世人、流れ者、ヤマトタケル。西部劇のフォーマットであり、つまりは神話的人物なのだ、ジャックリーチャーは。これはアメリカの神話なのだ。 ウィキペ
 

「コラテラル」Collateral, 2004.

 午後ロー180806の録画をいま頃観た。 評判の悪い映画だったので逆に面白く観れた。なかなかよかったじゃん。「広大な宇宙の出来事に比べたら人間の命なんて」云々かんぬん。まあニヒリズムというか冷笑。いかにも殺し屋の思想。で、運転手マックスは切り返す。もううんざりだしキレたのだ。「おうわかった。安いもんだよな人間なんて。お前さんの言う通りだ」。この映画の白眉。 で、評判悪い原因はまあ脚本(原作小説はあるのかいま俺は知らないで書いてる)の細部の詰めの甘さだろうね。ターゲット五人だよ? 残りふたりだよ? パソコンの中にデータはあったのにー! もうわかんなくなっちゃったよーお前責任取れよーて。プロの殺し屋だろ? 覚えとけよ五人くらい! マックスも逃げるチャンスはずいぶんあったよねえ。なのにずーっといいように使われるんでまあ観ててつらいよね。なかなかフラストレーションが溜まる展開。そこらへんでやっぱみんな点が辛(から)くなっちゃったんじゃないでしょうか。 追記:  ウィキペ によるとスチュアートビーティーのオリジナル脚本を映画化にあたって大幅改稿とのこと。また俺が接した風聞と違い評価は概ね高いよう。 動物(コヨーテ)は偶然に映り込んだらしい。しかしこれがこの映画の重要シーンになっている。ここでふたりともそれを見ながら何も言わない(この演出がよい。「なにしてる、こっちは急いでるんだ。轢き殺しちまえ!」とか言わせたら映画台無し)が、しかし少なくともヴィンセントは「たかが動物に対して当たり前のように徐行したマックス」に対して巨大な衝撃と引け目を感じている。圧倒的優位に立っていたはずの殺し屋の足元がたったこれだけのことで揺らぐ。この後の展開の見事な伏線となっている。
 
 

「NOPE/ノープ」(その2)

 [三周目&世の評論、解説を自分に解禁] ブラックホールの解説を見て自分が15%くらいしか映画を理解してなかったことが判明した。つか、初めて映画をまともなレベルに理解できた。 お猿さんエピソード、完全にパラレルにつながってるじゃん。無関係じゃんと思ってた自分の不明を恥じた。 解説及び特典映像で得た知見も合わせて自分なりに時系列を整理するとこうなる。 1. 白昼。登山者に興奮するラッキーをなだめるOJ。ラッキーのテリトリーを侵犯しているのだ(未使用映像 HIKER。作品のキモを暗示している)。同日? デュープ、空飛ぶ円盤を夕空に目撃。 2. 牧場の朝は早い。黙々と働くOJ。ラジオから流れる「アグアドゥルセ郊外山岳遭難、二日前から消息を断つ」のアナウンス。 登山者が侵犯したテリトリーはラッキーのそれだけではなかったのだ。 3. その日? の昼、OJの父、高速で飛来した硬貨に右目と脳をやられる。死亡。 4. 半年が経過。OJ、撮影スタジオのスタント調教を失職。 5. OJその足で遊園地にラッキーを売りに行く(既に10頭売っている)。「金曜夕方五時半、パークの新作ショー、『星との遭遇体験』の初日よ」と園内にアナウンスが流れている。事務所では奥さんが電話でメディアに内覧会を通知している。 6. その夜。ゴーストに落ち着きがない。デュープパークで何事か行われ(これがおそらく内覧会だろう)、その上空にあったものがこっちに飛来してきた。UFOだ! 7. これで一攫千金だ。牧場を売らなくて済む! 妹エムとふたりヨドバシに監視カメラを買いに行く。 8. ヨドバシのあんちゃんエンジェル、据え付けに来る。据え付け角度の指示から「怪しい」と気づく。空の何かを撮ろうとしているんだ。  彼が女に振られた翌日であることも重要。エム含め全員、人生に行き詰まり救いを求めている状態なのだ(柳下さん指摘するところの、空に浮かぶなにかを待望する心理状況)。 エム、デュープパークから勝手に馬の立像を盗んで来る(盗むか普通? 手癖が悪すぎる)。デュープも登場、新作イヴェントに兄妹を招待。 9. その夜、UFO登場。白馬ゴーストは危険を察知して逃走、UFOはスターチュウを吸い上げる。ヨドバシ無許可遠隔視認。しかし肝心のカメラは円盤のEMP作用で動作してくれない。 10. エム、現場で会った巨匠ホルストに撮影

「NOPE/ノープ」Nope, 2022.(その1)

 [一周目] お猿さんのエピソードと空中物体、全然独立、別個の話にしか見えなかったんだけど俺なんか見落としてる? 映画を理解してない? 多弁妹が俺ほんと苦手でまあ導入部から結構つらかった。兄の気持ちそのままですよ。商談の最中に喋るな! 自己宣伝するな! 完全に授業妨害児、発達障害、ADHDじゃないですか彼女。 イェリング(金切り声)がまた。天敵ですよ天敵。身内にも身近にも居て欲しくない。 ヘイウッド牧場の彼らが白人だったらこれ完全にヒルビリー映画。カッペの復讐譚(おら達をバカにしたすべての者に対する)なんだよね。トランピズムを支えた心性そのもの。カネもないのに取らぬ狸の成功当てにしてカメラ一式買っちゃうああいう消費の仕方が「いかにも」。あんま感情移入できなかった。 正体が動物、っていうのは面白かった。 [二周目] ひとつひとつのセリフ、行動の意味がわかるようになった。二周目だから。ストーリーの中でどういう意味を持つのか、何を指しているのか、わかるようになった。 あの直立吹き流しとかね。あれの道沿い多数配置がつまり一種のレーダーになるわけだ。あれの通電が落ちて萎(しぼ)めばその上空に奴がいる。 でも依然わからないことがたくさんある。 音楽は流す必要あったんすか。景気づけ? ジュピター遊園地の夕方ショーはあれが初演なのか。それとも何回目かなのか。そしてショーはジーンジャケットの出現を組み込んだものだったのか。そんなことしていままでどうして無傷だったのか。それとも怪物体とは無縁のちゃちなユーフォーショーが予定していたものだったのか。 旗には懲りたはずなのにラストそれを引きずったジュピター坊やにどうして食いついたのか。 あの第二変態(びらびら)にはなんか意味あるんすか。どうしてああなった? あの直立した靴はなに? あそこは怪異の空間だったの? そのせいで猿は狂ったの? 依然この「猿芝居」とヘイウッド牧場の怪異の関係がわからない。 ジュピター氏と顔を食われた彼女が今回また難に遭い命まで奪われたのはなぜ? 教訓的理由は少なくともなさそうである。 ジーンジャケットはいつからここに棲み着いたのか。これは都合一ヶ月くらいの出来事なのか。 撮影の鬼、自ら加わり自ら頂上を目指したとはいえ、ヘイウッド妹の誘いがそもそもなければこういうことにならなかったのでなんか気の毒。彼(詩を詠むよう